3.危険の兆し


これは、あまりにも違いと感じる日常。
「兄貴!大丈夫か!」
「くっ…んやろう!追え!!あのガキ達を捕まえろ!」
聞こえる。
いきなり手が掴まれ、引っ張られた同時に小鳥はシャークに連れられ店に出た。しかも出た瞬間に悲鳴や怒声もすぐに伝わってくる。さっき店の中にいる連中だ。
分からない。寧ろ整理できない。ただ目の前の人に腕を握られ、足を動かして逃げている。でも、どうして。
「ねぇっ!どうして逃げるの!私まで逃げなければいけないの?!」
「黙って走れ!」
「いたぞ!」
聞く間もなく、シャークの言葉が伝わった次の瞬間に後ろから声が聞こえ、振り返ると店の男性達が自分を見つけ、追いかけはじめた。
「おめーはここに居ろ!その店長を逃がすんじゃねーぞ!他はついて来い!」
「あぁ!」
次から次へと男性たちは二人を追いかけ、交差点に向かいながら小鳥はシャークに問った。
「あの店の人はほっといていいの?!だってさっき殴られたのよ?!」
「あんやろうはテメェみたいに弱くねぇよ!先に自分の心配でもしてろ!」
「どういうこ、」
「!こっちだ!」
「あっ!」
交差点から走ってくる男を見かける瞬間に再び小鳥を引っ張り、シャークは近くにある路地に入った。急ぎの足音は闇の隙間に響き回り、後ろから追いかける足音も聞こ えてくる。
チッとシャークは舌打ちした。
「シツコイ奴らだ…手を放すなよ!」
指先からより強い力が伝わると、二人は暗い道を出て、大きな道に入る同時にたくさんの人が視線に入る。
小鳥はこの道に記憶がある。確かあるエリアの商店街だ。
「きゃぁっ!」
「な、なに?!」
「どけぇー!」
人と人の間に通りながらも背中から怒声が聞こえる。それに構わず、少年と少女はただ走っていた。
足を飛び、進み、繰り返し、知らない人の群がりとすれ違い、それぞれの道に曲がり、地面を踏んで奔ってゆく。顔に襲ってきた気流は冷たいほど、手のひらから伝わっ てくるあたたかさがあついほどわかる。
彼女は一体、ここで何をしているのだ。
「いたか!近くにいるはずだ、探せ!」
「あっちに行ってみろ!」
少しずつ声と共に足音が遠くなり、ある裏通りからシャークはチラリと外を覗く。周りにだれもいないと分かり、彼は思わず肩を緩めた。
「んー!!」
「っ!」
『バクッ』と思わぬ痛みで手を離す。
気付かせないように、シャークは自分と違って息を喘ぐ小鳥の口を覆っていたが、相手がこの行動を気に入れなかったらしい。
自分の手を見ると、大きな咬み跡が手に残っていた。
「ち…ひよこの歯は意外と力強いな」
「アンタ、っんんー!」
「大きな声をだすんじゃねぇ。捕まえられたいか」
再び閉ざされた口に小鳥はムッとするけど、耳に少し騒ぎが聞こえる。少し遠くても、どうやらまだ安全ではないらしい。
しばらく考え込み、小鳥は黙って頷き、シャークは手を離した。
「なんなの?あの人達」
チラリと周りを見渡り、小鳥は外を警戒するシャークに聞き始める。
建物と建物の間にいる路地は狭くて細い。喫茶店の大通りから裏通り、続いてそれぞれ商店街の道に今の裏路地。ずいぶんと離れてきた気がするけど、ここからはモノ レールの列車や道路が見えるし、暗いけど小さなライトも裏路地の間にある。多分、駅の近くのだろう。
「さぁな」
「さぁなって。あなたを追っている人でしょう?」
「オレを狙う人ならどこにもいるってことだ」
何かを咬みながら、シャークはジャケットの裏ポケットから管状の円筒を取り出し、ある方向の蓋を開ける。
「あの喫茶店の店長さんは、デュエルの裏世界の元メンバーなんだ」
「ぇっ」
「ついでに、オレもな」
「!」
(裏せ、かい)
「この町は、遊馬みたいに嘘がない人間ばかりじゃねぇ。…いや」
相手の反応に気付かず、地面を見渡ってから空を見上げ、シャークは試しに円筒の中身を確認してみる。
少し苦笑すると、彼は口の中のモノを呑んで円筒の蓋を閉じた。
「遊馬みたいな馬鹿の方が、珍しいかも、……どうした?」
「アンタ」
振り返ると、なぜか小鳥は何かに怒っているようにぶるぶると手を震え、シャークを睨んでいた。
「シャーク!見違ったわ!」
「!静かにしろ!声がでけぇぞ!」
「いいえ、私は言うわ!」
より一歩を近づき、相手を掴んで自分に向かせ、小鳥はシャークを睨む。
「アンタを悪い連中のところにいないように、あんなに一心でデュエルしたのに!遊馬のかっとビングは、無駄って言うの?!」
「だから元ってっつってんだ……、っ!」
小さいけど、癖がある足音が耳に流れてくる。先ほど遠くなったはずの音だ。
「遊馬はあんなにアンタのことが心配で…あんなに頑張っていたのに!」
ゴッ。…ゴツ。
「いい加減にしろ!話はあとにでもしてくれ!」
ゴッ。ゴツ。ゴッ、ゴツ、ゴツゴツっ…。
(まずい!)
「静かにし、っ!」
「遊馬がバカだけど…えぇ私もバカだったわ!」
再び手で口を覆うとしても再び咬まれ、近づいてくる足音と人の声にチッと、シャークは舌打ちした。
「あなたを信じた私がバ、――――」
「ならば言ってやる」
片肩がつかまれ、建物の壁まで押されると少女は目を見開く瞬間に、少年の口が視線に入り、
「オレもこういう黙らせ方しか知らねぇ札つきのバカだ」
わからない感触と共に、闇の中に二つの影は重なる。
どこから、列車の音が通り過ぎていた。


人間や人間の世界は、面白いモノばかりにで満たされている、とアストラルは思う。
【LIFE IS CARNIVAL…】
列車のガラスの向こうの景色にある、ある建物の文字を読みながら彼は考え始め、チラリと悔しそうにつぶやく遊馬を覗いた。
「ちっくしょぉー!あそこで姉ちゃんの呼びだしがなけりゃ勝てたのにー!」
事情は放課後のことだ。
いつもかっとビングで叫ぶ遊馬は今日、学校の広場ではなく、違うところでデュエルの相手を探しに行っていた。
別のエリアのショッピングモールに行き、二人(実は遊馬のみ)はモノレールに乗る。途中でアストラルは初めて乗るモノにいろんな疑問をしていたが、ふと列車が動い ている途中、ある建物のモニターの文字が視線に入った。
『LIFE IS CARNIVAL』。
はじめに何か特別な意味があるじゃないかと思ったのだが、少し前の遊馬に教えられたことがある。
街に見かける文字は名前だったり、付けた方が考えた意味だったりするけど、気にしない方がいいっと。
確かに、目の前の文字は『英語』という言葉だけど、アストラルも以前は似たような文字を、街で見かけたこともある。
チラリと隣にデッキを触れながらワクワクする遊馬を見て、アストラルは聞かないことにした。
モノレールに降り、ショッピングモールにたどり着くと遊馬はすぐにデュエルする相手を見つけ、対戦に入った。
今日の状態はなかなかいいと思う。相変わらずヘボであるが、いつもより相手の戦略に警戒し、集中している。今の遊馬なら、勝てると思う時だ。
『よし!ズババナイトで、相手にダイレクトアタック!いけ!ズババソード、』
〔遊馬!今どこ?!〕
彼の姉の連絡が入ってきた。
『げっ姉ちゃん!なんだよ、今はいい感じだってんのに』
〔いいから!今はどこ!?〕
『えっと…、……エリアのショッピングモール…』
〔ちぇっ。あのエリアにいないのか…せっかくいい情報を手に入れたのに。いい?晩く帰っちゃダメだからね!六時までは帰りなさいよ!出ないとトマトのフルコースを 出してやるからな!〕
『えっちょっと!無茶いうなって!今はもうすぐ五時はん…』
『罠カード発動!《魔法の筒》!』
『!』
『このカードは、相手モンスター1体の攻撃を無効にし、そのモンスターの攻撃力分のダメージを相手ライフに与える!』
『えっ』
【遊馬!伏せカードを発動しろ!早く!】
『えっ、え……ふ、ふせかーど…』
『相手にダメージを返せ!魔法の筒!』
『…あぁああああああわかんねぇーよぉおー!!』
突然の姉の連絡で集中力は切られ、見事に伏せカードの効果も忘れ、遊馬は負けることになった。
うぅ…あの時伏せカード《魔宮の賄賂》を発動すればなど、帰りのモノレールに乗りながらも遊馬は悔しく呟いている。
今回は残念だけど、これも遊馬にいい経験になるのだろう。
そう考えながら再び視線をモノレールの外に向き、今日の二度目の『LIFE IS CARNIVAL』の文字を目にするところだった。
街にある景色が、なぜか視線に入った。
(?あれは…)
【遊馬。君の仲間がそこにいるぞ】
「ちくしょ…こんどこそ勝つ……、え?」
【そこだ】
時間はすでに六時になったため、空は暗くなり、ライトが照らさない一部の街は闇に包まれる。そこに、移動中のモノレールでありながらアストラルは、ある方向を指し た。
モノレールが動いているのによく見かけるとか、暗いのに目がいいなとか、遊馬は思ったけど、次の瞬間に何もかもどうでもよくなった。
狭い路地で、光に照らされていない端っこに、電車のライトによりキレイな緑色の姿と紫色の姿が重なる一瞬を見て。
【……あれは…】
アストラルにはあの『行動』に記憶がある。遊馬が寝ている間、彼はテレビに映るドラマにも見かけたことがある。確か、あれは人間の男と女が『あい』というモノを確 かめるために取る手段のようだ。
(…変だ)
確かにあの『行動』は『あい』を確かめる手段に間違いない。だが、この『行動』を行っている『二人』を見て、アストラルは違和感を感じた。
あのふたりは。
【遊馬。あれはたしか小鳥とシャ、……―――――】
…まるで、引いてはいけないカードをひいた感覚だった。
いつもように疑問を口にして振り返るけど、アストラルは一瞬だけ、不思議な感情に襲われた。
電車のガラスに手をつき、少しずつ離れてゆくあの場所を見つめ、紺色の少年はゆっくりと。
「こと、…り?」
驚いているように、悲しんでいるように、苦しんでいるように、紅玉の両眸は大きく、強く、―――――


僅かなモノレールの光に照らされる同時に騒ぎが耳に入ってくる。
「いたか!」
「ちぇっ、見当たらねぇ。こっちにいたと思ったのに」
「早く見つけねぇと俺等が金もらえねーぞ?」
「とりあえずあっちを探せ!……」
目を細めながら路地の出口を覗き、足音が再び遠くなっていくと少年は眸を瞬き、少女との距離を離れる。
「いっちまったか」
だが、触るところが離れた瞬間に小鳥はその場に座りこんだ。
まるで力を奪われたように。
チラリと相手の反応を覗き、シャークは思わず目をそらす。可哀そうだが、相手もかわいいところがあるんだな…まさにそう思う瞬間であった。
「……、………―――――このぉー!」
「…ん?」
一気に目が覚めた少女は思いっきり相手を蹴り、壁に打たれる音は大きく響き回る。
遠くなっていくはずの足音は再び止めた。
「って……テメェなにす、」
『パッ』!
怒声が口に出すこともできず、壁まで蹴られたシャークは眉を歪めながら顔を上げる同時、頬がキレイな響きで打たれた。
滲みる痛みでため息を吐くと、小さな水が肌に伝わる。少年は再び視線を戻すと、深蒼の両眸は思わず目を見開いた。
少女…小鳥は泣いていた。
彼を睨みながら。
「っ…ォ、オイ」
「シャークのバカ!人でなし!変態!タコ!」
「最後は関係ねぇだろ!」
「私の!…っわたし、の」
落ちていく。
相手を打った手はギュッとスカートを掴み、体が震えながら小鳥はもう一つの手で口を覆う。
大きな涙は次からつぎへとシャークの服に落ちてきた。
「女の子にとって、一番大切にしたかったモノなのに…」
「………っ…」
(オレだってやりたくねぇよ)
視線が痛い。濡れていく服から伝わる悲しみがいたい。
彼だってこんな手段を取りたくない。手で声をふせればいいと思ったのに、相手は強がりで自分を咬むし、止めようとしても大きな声を出そうとする。だから仕方なかっ たのだ。
彼女は自分の立場を分かっていない。もしアイツらに気づかれて捕まえられたら、彼女は二度と普通の人生に戻れない。何にされるかわからないし、最悪の状況は彼女自 身の精神も危険になる。シャークはどうしてもこのパターンを避けたかった。
自分はともかく、もしこの女に何があったら、遊馬は……
(…ん?)
「くっ……お前」
蹴られた腹部を撫でて、痛みを抑えて立ち上がり、シャークは何かを思い出したように小鳥を見る。
「遊馬とはやったことねぇのか?」
「あるわけないでしょう!?」
「ぉわっ!」
再び襲ってくる手のひらにシャークは小鳥の腕をつかむ。もう少し遅かったら、彼の両頬は真っ赤になるに違いない。
「悪いが、女に『三度』も平手で打たれるのがゴメンだ!」
「知らないわよ!大人しく私に殴られなさい!」
「やったことねぇならやりに行けばいいだろ?!お前、遊馬が好きなんだろ!」
ピタと指先が跳ねる。
さっきまでは精一杯の力を使って抵抗しようとしているのに、呼吸が奪われたように腕の力が消え、深柑子色の両眸は伏せていく。
「知った口にしないでよ…」
まるでツバサが奪われ、傷ついていながら泣いているトリのようだ。
「私のことも、遊馬のことも、何も知らないくせに」
「!」
「知った口に、しないでよ…っ!」
「…、…………。」
ゆっくりと手を離す。
再び降ってくる涙に、シャークは何も言えなくなった。ただ目の前の少女の…小鳥の小さな泣き声を聞くことしかできなかった。
列車や車の通り音。静かなくせに聞こえるノイズのような人間の声。照明に照らされない闇の足お、
「!隠れろ!」
「よーやく見つけたぜ」
小鳥を路地の死角に押そうとする同時に足音が耳に届く。ハッとシャークは路地の入り口に振り返ると、数名の男性の影が目に入る。
彼らを追ってきたヤツらだ。
「ずいぶんとめーんどうなことをやってくれるじゃねーか?」
一人が足を進むと「チッ」とシャークは舌打ち、小鳥を自分の後ろに隠して一歩を下がる。
「シャーク、」
「しっ。…で?」
後ろの少女に静かにと示し、シャークは男性達を睨んだ。
「こんな面倒なことをやっといて、オレに何の用だ?」
「一緒に来てもらえねーか?神代 凌牙」
リーダーと思われる男性はさらに一歩を進み、シャークに腕を上げる。
「詳しいは知らねーが、ある裏世界のヤツが貴様の力を欲しがっている。デュエリスト・『神代 凌牙』、テメーをな」
(デュエリスト?)
「さぁ、来てもらおうか」
「嫌と言ったら?」
男性はニヤリと口元を上げた。
「喫茶店の野郎やその娘はどーなっても知らねーぜ」
相手の言葉に小鳥は肩を震える。
「…ク、はは…」
だが、まるで面白いことを聞いたように、シャークはクスと笑い、やがて大きく笑いだす。
路地に響く狂気の笑声に、リーダーや男性達は眉を歪んだ。
「随分、おもしれーこと言うじゃねぇか。テメェら」
少しずつ笑い声を止め、顔を覆う髪の隙間から深蒼の眸は男性達を睨み、大きく見開く。
「オレを倒せるとでも思ってんのか!クズが!」
「―――やっちまえ!」
男性達はシャークに走り出した。
(あぁ、もう終わりよ!)
勝てるわけがない。
相手と自分達の年齢。そして体格。それらの考えに小鳥はもうお終いと考えたせいか、彼女は視線をそらして目を閉じた。
だから、彼女は見えなかったのだろう。
ある少年が上げた口元を。
「…!」
「ケンカをするときは、」
細い道に男性達は一人ずつ奔って行き、紫の影も同じく向かい、相手が振る拳とすれ違って飛びあげ、
「がっ!」
足で相手の顎を蹴りこんだ。
「もっと場所を考えてしな!」
「…え?」
「このっ!」
倒れる男性を避けて次にもう一人の男が拳を撃つ。予想済みか、半空でありながら「フッ」と笑ってジャケットから円筒を取り出し、蓋を開けて空に振り上げる。すると ワイヤロープが飛びだしてライトに巻き付き、
「―――?!」
拳と接触せず、シャークは円の形に通じてライトまで飛び上った。
「逃がすな!さきにこの娘を、」
「くぁっ!」
命令は終わらないまま悲鳴が再び届き、リーダーは隣に振り返ると長い影が部下の体や顔を打ち、真っ赤な跡を残されて倒れる。
リーダーは見上げた。
「「がぁあ――っ!」」
「腕が、足が…!」
「誰が逃げるっつってんだ?」
ワイヤロープで一気に数名の男性を打ち、円筒のスタンドに立ちながらシャークはリーダーを見下ろす。
ライトまで飛び上った瞬間に円筒を二つに分離し、円筒に繋がるロープがきちんとライトの支えに巻き付けると円筒の上に立ち、シャークは分離した部分から別のワイヤ ロープを取り出す。
はじめに小鳥に向かう男性達を振り、続いて近づかせないように一人ずつの行動の要である足を打って転倒させる。細い道に倒れた男たちが行き先を阻まれていく。
(こいつ、最初からこれを狙っていたのか…!)
見事に相手の罠にはまったリーダーは口を噛み、シャークはクスと口元を歪めて上げた。
「さぁどうした。反撃しねぇのか?逃がしてやるからさっさと行けば?ネズミはネズミらしく恥かいて汚い世界に戻ればいいんだよ!」
「ふざけやがって…貴様も同じ世界のネズミだろうがぁー!」
目を大きく開き、リーダーが小鳥の方向に奔る。道を塞ぐ部下達を足下に進み、リーダーは上に跳び上がる。
「させるか!」
シャークは再びワイヤロープを振ったのだが、リーダーはニヤッと笑うと襲ってくる影に手を開き、
「なにっ、ぐぁっ!」
ワイヤーごとシャークを引っ張り、シャークはスタンドから離れた。
「バランスが失えればこっちのもんだ!―――壁に撃たれっ、くっ!」
「!シャークっ!」
バランスを失ったシャークは空中に引っ張られ、リーダーはワイヤを壁まで振り投げる。猛スピードで壁と接触する前の一瞬、『チッ』と舌打ちし、シャークは体を回 し、足を壁に踏ませると同時にワイヤロープのボタンを押す。
「!」
ワイヤーを回収し始め、振り回される速度が回収のスピードで高速となる。シャークは拳を上げ、
「――――がぁは……っ!!」
リーダーは顎を殴られ、ふき出す唾と共に地面に倒れた。
「シャーク!」
相手の体を壁の代わりにし、一旦体を回して地面に戻るシャークに小鳥は近づく。だが、指輪を付けたその手を触ろうとしたら、相手は彼女の手を振った。
「汚ねぇモノを触るな」
「え?……だ、大丈夫?」
見せないようにシャークは振り返ったけど、ワイヤロープを握った右手は僅かに震えていた。
「もしかして、さっきアイツがワイヤを引っ張ったせいで…」
「まぁな。でもこいつは全力で引っ張ったわけじゃねぇぜ」
倒れたリーダーの腕の赤くなった部分を見て、シャークは目を細める。
最初、リーダーが小鳥を掴めようとする時、シャークは指輪をつけた手で相手の腕を殴った。普通の拳ならともかく、指輪などつけた拳はより痛みを与える。そのせい か、相手はシャークを壁まで振らせたくても、力がそれほど入っていなかった。
「き…さま……」
小さな呟きにシャークと小鳥は振り返る。どうやらまだ意識を失っていない人がいるらしい。
「よく覚えておけ。指輪は、凶器にもなるってな」
小鳥に後ろを向けと伝え、言われた通りにすればなぜか耳に数回の殴る音や悲鳴が届いてくる。少女は何も考えないことにした。
今日は彼女にとって不幸な日ないかもしれない。
「もういいぞ」
「はい……、…え?」
「着ろ」
恐れながら振り返ると、紫色のジャケットが小鳥の視線に入る。哀れむ様に殴られ地面に伏せる人達を覗き、彼女は改めてシャークを見る。
少年はただいつも通りに少女を見つめている。
まるで、何事も起きていなかったようだ。
「……え、ちょっとまて!」
ジャケットを受け取る同時に小鳥は目を瞬き、ハッと何かを思い出したか相手の手を掴むと小さな痛みの声が耳に届く。
よく見ると、先ほど男性達を殴った手はなぜか紅くなり、指輪にも少し赤色のモノもついている。
シャークの手は怪我をしているのだ。
「怪我しているなら言いなさいよ!えっと、ハンカチ…」
「…放せ。大事なモノを奪った相手を、」
「シャークはデュエリストでしょう?!」
凌牙はデュエリストでしょう?
一瞬の映像と重なる言葉に目は見開いていく。
相手の反応に気づかず、小鳥はポケットからハンカチを取り、簡単な手当てをする。何もないけど、やらないよりマシだろう。
「デュエリストにとって、体力も必要だけど、手も大事にしないといけないでしょう?」
ハンカチで怪我した手を包み、小鳥は続ける。
「…シャークは昔の遊馬と同じだね」
「遊馬と?」
「いつも、怪我して帰ってきた」
今でも覚えている。
いつもかっとビングで、無茶な挑戦を続けたり、ケンカしたり、何かの理由で腕や足に酷い怪我をする。
昔からそうだけど、ある時期は酷いほどかっとビングしすぎで、腕や手は包帯に包まれていた。
それでも、遊馬はそれに構わず、チャレンジしようとした。
『もうやめてよ!遊馬、これいじょうつづけたら、あなたのうでが…!』
『う…うるせぇ!オレは…オレは!』
痛みを抑え、辛さで震えながらも遊馬は包帯の手を使い、カードをドローした。
『オレは、父ちゃんがくれたことばで、かっとビングしつづけるんだ…!』

あのときのことを、小鳥は未だによく覚えている。
小さい頃からの幼馴染で、共に行動し、遊び、成長してきた二人が、はじめて相手の泣き顔を見た瞬間でもあった。
ここにいなくても、記憶は想い出と共に応えようとする、両親を失くした遊馬の涙を。

(どうしてかな?)
手当てを済ませ、ゆっくりと相手の手を放し、小鳥はシャークに苦笑した。
「シャークは、遊馬に似ているせいかしら」
理由などわからない。
ただ、彼女を守るために怪我したこの手を見て、小鳥はやはり遊馬を思い出してしまう。
二人はまったく違う人間なのに。
「………………はぁ」
(あ、ため息)
はじめに不満で睨んでいるようだが、やがてシャークは諦めたようでため息をつき、路地の入り口に振り返った。
「オイ。さっさと出て来い、ドクター野郎」
「え?」
「ちぇ、やっぱりバレたかよ」
少年と同じ方向を見ると、路地の側から一人の男が現われる。さっき、喫茶店で殴られた店長の人だ。
「あんなくそ甘い香りは気づかねぇはずがないだろ。あっちは終わったか?」
「酷いな、ケーキは美味かったですぞ!あの男達なら、注射しておいた」
「変な薬を使うんじゃねぇぞ。警察が面倒だ」
「ただの強力睡眠薬だから、安心しろって!シャーちゃん、俺を信用しろよ!」
「シャ、シャーちゃん……ぷっ」
「…オイ」
「ぷっ…だ、だってぇ」
あまりにもおかしかったか、一度始めると笑いが止まらなく、シャークは思わず後ろで笑う小鳥を強く睨むのは、いうまでもない。
「だって、シャークがシャーちゃんって…もうダメ!笑うよそれ!」
「止めろ」
「お嬢ちゃん、シャーちゃんを呼んちゃダメだぞ!これは俺の特権だ!」
「テメェらいい加減にしろ」
「はーいはい。こわいから止めるよ」
また殴られたのは嫌だからな、とドクターは肩を上げる。チラリと小鳥の方向を覗き、彼はシャークを見て、地面の人達を指した。
「これ、どーするんだ?」
「市警に任せておけ。」
「このことじゃないよ」
「……」
相手の眸に映る碧色の姿にシャークは頭を掻きなで、後ろの少女にDゲイザーを出せと言う。再びひよこと呼ばれてムッとする小鳥を無視し、彼は最後の数字を押すと後 ろに投げ、彼女に返した。
シャークの携帯番号が登録された。
「すまねぇが、独りで帰れ。オレは先にこっちの事を済ませる」
「え、う…うん」
「小学生じゃねぇし、変な道にいくんじゃねぇぞ」
「あのね!」
「何があったら、すぐにでも呼べ」
列車の声が聞こえる。
夜空の下に奔り、通りすれ違い、一瞬のライトに照らされる紫の背中。夜の海を思わせる深蒼の眸はまっすぐと柑子色の瞳を見つめ、静かに語った。
「今日は、すまなかったな」

……思えば本当に、すごい一日だった。
はじめはただ、クッキーの材料を買い、家に帰ったらエスパーロビンの生放送を録画して、晩御飯の後にクッキーを作って、明日は学校で遊馬に渡そうと考えていた。
そんな普通の一日になるはずなのに、突然の事件で普通じゃない一日になり、…自分の大切にしていたモノも奪われるところだった。
(もぉっ!)
道に走りながら手で口を覆う。ライトや照明に照らされる大きな街に奔り、小鳥は肩のジャケットを掴みながら口唇を噛む。
あれから時間はかなり経っているのに、あの感覚は未だに唇に残っている。
(さいあくさいあくさいあくよ!)
あの瞬間。もしシャークは先に彼女の口の上に一枚薄い紙を置かなかったら、彼女の大事なモノが…
(もう、最悪よ!)
紙越しとはいえ、薄い紙を通じて伝わってくる感覚と僅かな温度。直接触れていないのに、まるで本当に触ったような感じが、彼女の頭から離れられない。
街の人々の視線を気にせず、小鳥は拳を掴み、駅に走り続けた。
「――――変態タコのっバカァー!!」
ある人への怒りを叫びながら。


――――本当に、最悪だ。
「彼女か?」
「なわけあるか」
ライトに巻いたワイヤロープを回収し、シャークは地面にあったある紙を拾う。つまんないとドクターは手をポケットに入った。
「彼女じゃねぇーんだ…キスまでしちゃっていいのか?」
「してねぇ」
「したじゃん。シャーちゃん、女の子の大事なモノを奪った瞬間を見たぞ!」
「テメェ最初から近くに居たらさっさと出て来い!イラッとするぜ!」
「じゃ奪った?」
「……直接、奪っていない」
手にいるグミの包む紙を揺れ、僅かなケーキ香りは伝わってくる。
シャークは目を細めた。
「オレのモノじゃない『モノ』を、奪うはずがねぇだろ」
それ、本当に元不良をやった子が言うべきセリフか?とドクターは紙を離したシャークを見て心でツッコんでみる。
「もしかしてさ、重なった?『昔の自分』と」
ゆっくりとはなれていく。
指先から離れ、少年や男とすれ違い、紙は暗黒の奥から抜き出し、ひかりに包まれる世界へ消えてゆく。
新たな居場所を求めて。
「コイツ等を、二度とあのひよこに迷惑をかけないようにしろ。ケーキならまた買ってやる」
「喜んでやらせてもらいます!…あ、俺が言いたいのはこれじゃねーけど」
Dゲイザーで連絡を済ませ、ドクターは改めてシャークを見る。
「シャーちゃん。誰かが、『神代 凌牙』のおまえを狙っているぜ」
列車の光は男の背中を照らし、路地は再び闇に戻った。