1.少しワクワクする


これは、少し違った日常。
いきなりの誘いに乗せられ、遊馬(とアストラル)はオロオロとシャークの家の前に立つ。開かれた玄関に入り、「お邪魔シマス」と言うつもりのだが、途中でシャーク が遊馬の言葉を止めた。
「やらなくていい。誰もいねぇぜ」
「え。家族がもう仕事に、」
「言ったんだろ?」
どうでもいいと言っているような口調だが、少しだけ辛そうに遊馬を睨み、シャークは目をそらした。
「『誰も』いねぇぜ」
そういえばと、黙って家に入るシャークの背中を覗き、遊馬は思い出す。
少し前、彼もシャークの家に来たことがあった。
ナンバーズハンター・カイトに無理やりデュエルを申し込まれ、あまりの強さで遊馬とアストラルは落ち込み、雨の中に倒れた。
倒れる前に、遊馬は偶然にもシャークと会い、相手に家まで運ばれ、四日間もシャークの家に泊まっていた。
あのときは気持ちが落ち込んでいたため、あまり思考を回さなかったが、今となって遊馬は分かった気がする。
シャークと家族の関係はよくないようだ。
何もせずに泊まっていたのに、遊馬は一度もシャークの家族に会わなかったし、彼以外に誰かがいる雰囲気もない。
シャークの部屋以外のドアは開かれたことがない。
「水でいいか。生憎今は何もねぇ」
「お、おう。サンキュー」
黒ベースで白い魚が書かれたマグカップを受け取り、ふとキッチンにあるマグカップが目につき、手にいるのを見る。
前回に使わってくれたヤツとは違うようだ。
「シャーク。これはお前の?」
「?そうだが?」
「じゃあ………、……いや。なんでもねぇ」
チラリとキッチンの青色のマグカップを覗き、改めて周りを見渡りながら、遊馬は思う。
洗濯機の隣に積む服。キッチンに置かれた皿やコップ。片づけられたゴミ袋とコンビニの弁当箱。ほとんど空っぽの冷蔵庫。あまり使われない家具。
シャークに家族のことを聞こうと思っていたのだが、相手の表情を見る限り、これは聞いてはいけないと感じた。
少なくとも、遊馬が聞けることではないと。
「あれ?魚…」
パシャっという音に振り返り、リビングにある水槽の魚を見て遊馬は思わず目を瞬く。数量は前に来た頃と違い、真っ黒な魚の隣にもう一匹の白色の魚がいた。
【どうしたのだ、遊馬】
「いや、前は黒い魚しかいなかった気がするけど……」
【…確かに。私の記憶の中にも、黒の魚しかいない】
アストラルの言葉に、遊馬は水槽からシャークに振り返る。相手の視線…言いたいことに気づいたか、袋から餌を取り出しながらシャークはため息をつき、疑問に答え た。
「買ったんだ、ペットショップで」
「へー……でも、ちょっと意外だな」
「なにがだ」
「んー…だってさ、」
バッグを開き、小さな球体の餌を水槽に入れる。水面の動きに気付いたか、魚達は上に泳ぎ、口を開いていく。
小さなパクパクの音は水から響きだした。
「シャークって、魚を自由にしてほしいヤツって思った」
「………。」
「え、いや。なんていうか…」
突然の沈黙で自分がやばいことをしたか、遊馬は慌てて言葉を選ぼうとするのだが、やはりなかなか見つからない。
「えっと、その…そ、そうだ!アレだ!」
(あぁかっとビングだ!オレ!)
「だ、だってさ!シャークは何をやろうと自由にやりたいタイプだろ?!だから、魚を飼っているのはちょっと意外だなって!」
「…水槽の中で生きる魚は可哀そうか?」
「えっ。その…」
いきなり疑問が返ってきて、遊馬は我に返れず、そんな彼を見てシャークはフッと笑った。
「遊馬。オレが飼わなくても、魚は一生も水槽の中に生きるしかできねぇぜ」
「…え?」
「この魚達は生まれた時から人間の水槽の中に生きることしかできねぇ。例えオレが買わなくても、魚に残される道は三つしかいない。狭い水槽の中に、新たな主が買っ てくれることを待つか、あの空間で死ぬまで泳ぐか、あるいは大きな魚の餌になる道しかねぇぜ。」
たとえどんな風に望もうと、魚は水槽から出られない。
川や海に戻れず、ただ人間というモノに飼われ、狭い空間の中に見られながら生きるしかできない。
偶々、心がいい人間がペットショップから魚を買い、川または海に帰す話はあったが、正直に言うとシャークはああいう人間に吐く気がする。
あれはただ、自分のこころを満足させるためだけ行動だ。
魚は水槽から離れられない。自由を与え、その命を助けるために川に帰したのだろうが、実際のところ、あれは魚の命を殺す行動に過ぎない。
突然違う場所に連れられ、魚は新たな環境に馴染むこともできず、息を失っていく。
ペットを買う人もどうかと言われそうだが、好意と人間が思っている行動が、目の前の命をころすのだ。
自分が良いことをしたと思いながら。
「じゃあ、なんでシャークは飼うんだ?」
「…オレが?」
「なんでシャークは、白い魚を買ったんだ?」
「……………。」
パクパクの音は響いていく。
静かに、緩やかに、穏やかに、自分と彼しかいないこの箱庭の中に、響いている。
小さな生きる音色を。
「出られなくても、『アイツ』ひとりじゃ、つまんねぇだろ?」

―――――ひとりは、辛いだろうからな


…何故だろう。
少し、不思議な気分が胸に流れてくる。
「なんだろ、あれ…」
ボーっと空を見上げ、遊馬は先ほどシャークが言っていたことを思い出す。
魚の話をしていたはずなのに、なんだろう。
まるで魚ではなく、何かを伝えたいようだ。
『…シャ、』
『行くぞ。』
結局、遊馬が何かを言おうとしたらシャークがタイミングよく彼のを止め、ソファに置かれたカバンを取って二人は登校した。
札付きのやつと一緒に学校に向かったせいで、遊馬は朝からいろんな意味で有名人となったのだが…いや、その話は気にしなくていい。
『どうしたの、遊馬!シャークと登校するなんて』
『お前、またシャークに巻き込まれたんじゃねだろうな!』
小鳥や鉄男から迫ってくる疑問も気にせずに、だ。
「…なぁ、アストラル」
【なんだ】
「さっきのシャークの言葉、どう思う?」
【……残念だが、私にはまだ人間の感情を理解することができない】
「ちぇっ。いつも観察結果とか言っているくせ、」
【だが】
空に浮き、アストラルは天上からある方向に振り返る。つまらなそうに草の上に伏せ、木の陰の下に空を見上げる紫髪の姿を覗き、アストラルはゆっくりと目を細めた。
【彼は、君の応えで満足しているようだ】

―――――ひとりじゃねぇだろ?

ゆっくりと玄関のドアノブを握る指先を離れ、紫髪の少年は静かに振り返る。
あの頃からかわっていない。いや、むしろ最初からかわっていないのだ。
いつもヘボで、正直で、馬鹿で、デュエル頭で、
――――まっすぐで、紺色の少年は彼を映っていた。
『シャークだってひとりじゃねぇだろ?何を言いたいか、オレにはわかんねぇけど…でも』
魚もシャークも、もうひとりじゃねぇだろ?

そしてこの少年は、必ず彼に微笑んでくれた。
仲間がいらず、独りで生きようとする自分(魚)に、勿体ないくらいと思われる笑顔を。
『…馬鹿か』
『いてっ』
思わず相手の額に指を弾き、シャークは軽く遊馬の頭を撫で、彼は。
『お前に慰められるほど、オレは弱くねぇぜ』
優しく口元を上げた。


【遊馬。やはり君は、不思議な存在だ】
「な、なんだよ。いきなり」
違う方向を見るアストラルに遊馬は思わず突っ込みたくなった。ずっと別のところを見ているくせに、こいつは兆しもなく変な疑問や問題を聞いてくる。
一体どんな考えをしているのだ。
【君は、私が今まで見てきた人間の中に、一番不思議な人だ】
「っていうかお前、オレと出会うまで人間など見てきたんだっけ…」
【遊馬】
見事に相手の言葉をスルーし、アストラルは改めて遊馬を見る。
まるでどこかの紫髪の少年のように、アストラルも優しく口元を上げた。
【君と出会えることができて、本当に良かった】
「………な、なななな…っなにくさいこと言っているんだお前は!!」
【くさい?私ににおいがあるのか?】
「だぁー!!お前、しばらくはしゃべるな!こっちが恥ずかしい!恥ずかしくて死にてぇ!」
【なんと。これは永久コンボと同じ効果なのか!】
「だからちげ……」


―――――さかなは水槽の世界から出られない。
それでも、少年は信じてみようと思った。
出られなくても、離れることができなくて、同じ世界に『仲間』が居れば、彼はきっと孤独になれず、笑顔で生きられると考えていた。

残りのご飯に塩を入れ、ノリを加えておにぎりにし、春は明里の部屋に向かっていく。
「明里。入るよ」
予想通りなのか、ドアノブを開くと、ニュースや配信を書いている明里の背中が視線に入り、春はクスと微笑んだ。
「明里」
「ここはもっと詳しく…ああここの情報も足りていないし!」
「あかりー」
「もぉ!こんな時に資料はどこに行ったのよ!せっかく一部の解析が出てきたのにー!」
あぁ…それでは何度呼んでも返事が来ないかも、とブツブツ独りごとする孫の姿を見て、春は思わずため息をつく。
食事だけおいて置こうと近くに机の上におにぎりやお茶を置き、春が部屋を出ようとする時、後ろから声が届いた。
「…ん?あ、お婆ちゃん。ゴメーン、あたし気付かなかった」
どうやら、やっと春のことを気付いたようだ。
「いいのじゃよ。お腹すいてないかい?」
「…………ぇ。今何時?」
「もうそろそろ十時じゃ」
「もぉ――……お婆ちゃん、ありがとう!」
エネルギー補給!っとお礼を伝えて明里はおにぎりに手を伸ばす。美味しそうに食べる彼女に、春は小さく笑った。
「そうそう。今は何を追っているのだい?」
「うん?んーっぬで(んーっとね)」
さっそくおにぎりを食い終わり、春特製のお茶の一口を飲み、明里は考えながら応えた。
「デュエルの裏世界での、デュエリストへの不法契約だよ」

…そう、信じたかった。

紅玉色の両眸は雨の中に揺れていく。
一瞬な衝撃で何か起きたか分からず、ただ首からブチッと音がする同時、何かが手のひらに落ちてくる。
水に濡れられた紐だ。
顔を動くと、頬から小さな痛みが伝わってくる。足も地面に跪いたまま動かない。
彼は怪我などしていないのに。
「―――これで、オレが表の舞台に戻れる条件がそろった」
雨と同じような温度の口調が聞こえる。
撃たれた頬を撫で、自分しか見えない生命体の声も上手く頭に入れず、ただ呆然と顎を上げ、紺色の少年はゆっくりと目の前の景色を映っていく。
暗い雨の中に美しく金色の輝きを照らし、ペンダントを握る者はニヤリと口元を歪んだ。
「………シャー、ク」
あだ名を呼ばれながら。

「言ったのだろ?九十九 遊馬。――――オレに関わるんじゃねぇって」

ほらな。
やはりさかなは、
独りで生きるしかできないんだ。