さかなのコドモ達は、生きている。




これは、あの日々の続きの夢。

水は降ってくる。
少しずつ、一滴ずつと雨は降り、地上に落ちていく。
闇に包まれる街に人々はそれぞれの傘を持ち、雲に覆われる空の下に、傘とライトはまるで天空の星光のように感じる。
こんな中に、何故か少年は走っていた。
パシャと地面の水を踏み、襲ってくる水分を気にせず、ただ進み、走り出し続けていく。
たったひとりで。
「――――――     …っ!」
真っ黒な道に少年は声を上げた。
叫びに反応しているように、道の奥にゆっくりと、ひとりの影は進む足を止めた。
影とともに振り返って揺れる紫色の髪。…どうしてだろう。
あんなに鮮やかな色のはずなのに、今は闇に混じられるように、深く。
暗く。
「なんでだよ…なんで!」
手のひらに切られた紐を握り、辛そうにまゆげを歪みながら少年は、
「…―――なんでまた『あっち』に行っちまうんだよ!!シャークゥ!」
遊馬は相手の名前を呼んだ。

影は何もしゃべっていない。何も返事はしない。
真っ黒な闇の中には相手の顔など見えやしない。ただ、雨の音は耳に届いてくる。まるで心臓のような感じだ。
静かで、穏やかで…
「テメェに何がわかる」
…だが、影はそれを壊した。
水を踏み、一歩ずつ少年の方向に進み始め、雨に濡れられながら影は光の下に姿を現し、紫色の少年はニヤリと笑う。
彼は手を伸ばした。
「オレのこと何一つも知らねぇくせに」
「っ…!」
「なにも知らねぇ野郎が、オレを助けたいと?」
服ごと首の部分を掴み、遊馬を自分に向かせると紫の少年・シャークは彼を睨む。
「仲間だからということか?」
「…だったらなんだよ」
まっすぐで彼から逸らさない紺色の瞳に、シャークはゆっくりと口元を上げる。
「いいだろ。なら、――――――」
オモチャを見つけたかのように、海の中に弱くて美味なる獲物を手に入れたかのように、シャークは静かに口を開き、

【―――――遊馬】
「うわーっ!」
『ドンッ』っと少年はハンモックから落ちた。
突然の驚きと衝撃で我に返れず、イテテと言いながら当たった頭の後ろを撫でる。眠そうな瞳を数回瞬くと、遊馬は空に浮いている物体に視線と合った。
アストラルだ。
「…なんだ、アストラルかよー…驚かすんなよぉ」
【何故愕く?君は毎日、私の顔を見てきたのではないのか?】
「目を覚ました時いきなり目の前に顔があったら誰だって驚くだろ!ったく」
改めて立ち上がり、遊馬はアストラルの後ろの時計を覗いてみる。時間は登校するにはまだ早いようだ。
「おはよう。父ちゃん、母ちゃん」
机の上に置かれたデッキを取り、いつも通りに遊馬は写真立てに挨拶する。
写真はある瞬間のトキしか映らない。たとえ何年がたっても、写真に写されたモノはかわらないし、かえることもできない。
それでも、遊馬は長い間続けてきた。
たとえ写真には一瞬しか映っていなくても、この一瞬という時間の中に、彼の両親はきれいな笑顔をしていた。
自分に元気を与えてくれる笑顔を。
「よし!今日もかっとビングだー!」
ロフトから自分の部屋に降り、遊馬は新しい制服を取って着替え始める。アストラルはチラリとロフトの部分を覗き、遊馬の側に浮いてきた。
【遊馬。どうして君はいつも、朝のとき『おはよう』というのだ?】
「あ?えっとな、おはようとは、朝のときみんなへの挨拶のようなもんだ」
【朝のみなのか?】
「おう!」と袖口を腕に通し、遊馬は続く。
「朝におはようって言われると、すっげー元気が出るぜ!!」
【記憶しておこう。………遊馬】
カバンを取り、ドアノブを開く前に呼ばれ、遊馬は振り返る。
アストラルは小さく微笑んだ。
【おはよう】
「…おう!おはよー、アストラル!」



雨のガラス箱庭II
――はぐれたコドモ達――



 0.いつものように泳ぐ

これが、君の日常のはじまり。
階段を降りると、リビングで遊馬の婆ちゃん・春は丁度朝ご飯の準備をできた。いつも遅刻でぎりぎりな時間しか起きない遊馬に春は少しだけ驚いたが、やっと成長した 孫にさっそく赤飯を作ったのはいうまでもない。
「そういえば婆ちゃん、明里姉ちゃんは?」
「大スクープを追っているようじゃの、もう昨夜から部屋から出てこないんじゃよ」
「…大丈夫か?姉ちゃん」
ご飯を口に含みながら遊馬は思わず端っこの部屋を覗いてみる。ドアが閉まっているのに、沈黙の向こうからきちんとガチガチや機械の音まで聞こえる。どうやら、この スクープが終わるまで姉と話さない方がよさそうだ。
(姉ちゃんがこのスクープを終わらすまでお小遣いを聞かないでおこう…)
婆ちゃん特製のサンマと一緒にご飯を食い終わり、食器をキッチンまで持っていくとカバンを取り、遊馬は玄関のドアを開く。
《ユウマ。ユウマ!昼メシ!デュエル飯!》
「おう!婆ちゃん、オボミ!いってきまーす!」
「いってらっしゃいじゃ」
《イッテラッシャイ。イッテラッシャイ。ユウマ、下手クソ》
「くっ!だからオレはヘタクソじゃねー!!」
昼弁当を受け取り、見事にロボットのオボミに反撃されながら、遊馬は手を振って学校に向かい始める。
孫の姿がだんだん見えなくなった。
「さて。じゃあオボミ、外の掃除はお願いするぞい」
《ハル。ハル。オボミ、頑張ル》
オボミの頭を撫で、春は再び家に戻り、キッチンの食器を片付け始めた。

「んにしても、今日は早いなー…」
いつもよりすごい時間で起きたせいか、いつも同じ制服を着る生徒の姿が見当たらなく、学校に向かう道に制服を着ているのは自分ひとりしかいない。
代わりに、雲ひとつもない空と、川に泳いでいるカモ達の声が視線や耳に伝わってくる。
たまにはこういうのもいいかも、と遊馬は親子のカモを見て思わずクスと笑った。
【うれしそうだな、遊馬】
「んまぁな。今日はいい天気だし、いつもは遅刻直前だからさ…こういうのんびりもいいなって」
【君が寝坊しなければ、毎日もこんないい生活が過ごせるのだが…】
「う、うるせーな!起こしてくれないくせに!」
【これは君自身でやるべきことだ】
「くっそぉ……、ん?」
ふと、遠くないところにある人の姿が目に入ってきた。緑線の白い制服と少し特徴がある紫色の髪。背中しか見えないけど、遊馬はすぐに相手の正体がわかり、足を早く 進んで、相手のあだ名を呼んだ。
「シャーク!」
「…………」
あぁ、怒っている。っていうかすっげー嫌な顔をしている。
声で後ろの人の正体は遊馬ということをわかったせいか、シャークははじめにヒクと肩を跳ね、やがて嫌なモノを見ているように振り返る。
それは傷つくぜ。
「おっはよー!シャーク!」
「…何故テメェはここに」
「ここは俺が学校に向かう道だぞ!それよりシャーク!おはよう!」
「……なんだ」
「お!は!よ!うぅー!」
明らかに返事がほしいか、キラキラと自分を見つめる遊馬に、このままだときっと言うまで追いつくに違いない…とシャークは思った。
二人が出会ってあまり時間が経っていないし、話す機会でさえほぼなかったが…何故か彼はそう直感した。
面倒くせぇと舌打ちして、相変わらず期待する目で自分を見つめる遊馬を睨み、シャークはため息をついた。
「…おはよ」
「おう!おっはよー!」
小さな返事なのにも構わず、うれしそうに笑う少年に、シャークは思わずクスと笑った。
本当に、変な人だ。
【朝の時、人と挨拶すると元気になる。…なるほど、記憶しておこう】
「そういえばシャーク、いつもこんな時間で学校に行くのか?」
「誰が学校に行くといった?」
「げっお前、サボりか!…でもシャーク、学校の制服を着ているし」
紫色のジャケットではなく、二年生の緑色の制服と青色のネクタイ。右手には相変わらず指輪をつけているけど、首飾りなどはつけていない。もし目の前の人は本当にサ ボるつもりなら、制服ではなく私服にするはずだ。
改めてシャークの格好を見てみると、ふと遊馬は相手の手が目につく。
シャークの手は、買い物の袋を持っていた。
「朝から買い物をしてたのか?」
「仲間が増えて、餌が足りなくなってな」
「仲間?」
「じゃあな。……………。遊馬」
何かを思い出したように、違う方向に進め始めようとするとシャークは再び足元を止め、少年に振り返る。
「一緒に来るか」
「……はい?」
【?】
いきなりの言葉に反応できなくなった遊馬とアストラルであった。