弓を、弦に擦る。

指先の動きで音色が変わり、腕や指の力や動きと合わせで旋律が現れる。無言のまま目を閉じ、音楽に酔い込み、一人の小さな子は演奏し始めた。
時に明るく、時に激しく、時に優しく、時に切なく……まるで小さな体に秘める、全ての感情をヴァイオリンに乗せ、心の世界を外へ伝える。
純粋なメロディー。
だが、子供は声が聞こえた。
騒音が、耳元へ届いた。
「       !」
楽曲を弾く最中、彼は人間の声を聞いた。
『目を開けてはいけない』

頭のどこかでその言葉が聞こえた気がする。
だがその意味を理解できなかった子は、…紅茶色の髪の子は、
ゆっくりと 瞳を開けた。


「――――――っ?!」
唐突に起きた。
鳶色の眸が大きく開いて、まるで見てはいけないモノを見てしまった少年の背中や顔に、不安の汗が落ちる。
初めに目をむく、時間の流れと共に体が自然に息をする瞬間、
喉から咳をした。
「ゴホォ!…、ォホッ!ゴホッゥ……」
息が上手く吸えない。
まるで混乱してるみたいに体は咳を吐き続け、苦しいよう、
十代は胸を食い込む。
『!十代くん!大丈夫なノニャ?!』
咳が聞こえたのか、丁度天井の柱に寝てるファラオの体内から、大徳寺が現れる。
『どうしたノニャ?悪い夢でも見てしまったのかい?』
「…、……だ、じょうぶ…ゴメンな。先生、ファラオ…起こしちゃって。…ちょっと変な夢を見ただけさ」
『十代くん』
「さぁ、ファラオ!寝ようぜ!」
「ニャァ…」
毛布を自分に覆って、相手の顔が見えなくなってしまった大徳寺は再び戻った。

なんで
また見えてしまうんだろ?

気付かれないよう、少年は毛布を通して、ある黒い箱を見詰め、
食い込むくらい胸を掻き毟った。


あの夢はきっと 何かの兆しだろう。
十代は思う。
何故なら、
「十代!お前、ぜってぇ楽器が弾けるだろ!」
…ヨハンの目がキラキラして自分を見ているから。
「………はぁ?」
とりあえず返事とは言えない返事で応える。
するとヨハンは続いた。
「噂聞いたぜ!十代は音楽の理論テストで二年間連続満点合格者って!すっげぇーじゃねぇか!」
「あ、あぁ」
応えながら着替え始める。
「今度聴かせてくれよ!演奏!」
「いや、だからオレは楽器が弾けるなんて言ったことないけど?」
「まったまたー普通、音楽の理論が分かる奴が楽器弾けない訳がねぇだろう?」
しかもお前、満点だぜ?とヨハンは付け加えた。

事の始まりは十分前のことである。
夢のせいであまり眠れない十代は寝不足で、授業をサボろうとしていたところが、ヨハンが突然現れて十代を起こした。
最初、十代は起きたくないからヨハンの声を無視して毛布に自分を覆いこんだけど、ヨハンは食堂からフライパンを持ち出して、
騒音が部屋を駆け巡った。
「――――なんだぁああああぁー!?」
「エビフライ、超・特大盛りサイズが外に飛んでるぜ!!」
「マジィ?!」
「なんちって☆うそだ」
「…………」
見事な嘘に、十代が完全に目覚めた。

「もうあんな起こし方やめてくんない?耳や心臓に悪いぜ」
「わりぃ、わりぃ。だってそうしないと十代が目覚めない気がしたから」
爽やかに笑うヨハン。
着替えが終わり、十代はデッキをケースに収め、ベルトを腰に着けると、ヨハンは彼の後ろのあるモノに目が移る。
(あれは確か…)
確かめるよう、ヨハンは十代を通りこして窓の下に置いた黒い箱に、手を伸ばす。
「?ヨハン、どうした……、っ!」
どうしたのかと思い、振り返るとヨハンは既に箱を開けていた。
鳶色の瞳が揺れる。
「へぇーヴァイオリンかー」
後ろにいるため、相手の変化に気付かないヨハンはゆっくりと、ヴァイオリンと弓を箱から出す。
「十代の楽器はヴァイオリンか!知らなかったぜ、じゅうだ…」
聴かせてくれない?

と。
ヨハンは言いたかった。
だが、少年は口の動きを止めた。
振り返って、十代を見上げるヨハンは何かに気付き、立ち上がった。
「……、十代?」
まるで悪い事をしてしまった子供のような目差し。少し不安で、辛そうに揺れ動く琥珀色の瞳が、碧緑の眸に映った。
「十代?」
緩やかなに、ヨハンはゆっくりと近づく、手で頬に触る。
……前の一瞬、
「っ!」
鳶色の目が大きく開いた。

―――――もう弾くなっ!バケモノォォ

「―――触るなぁぁあ!」

『パッ』と、
少年は手を打った。
「……―――っ」
「…じゅ、だい?」
青髪の少年は驚いて十代を見つめる。
「どう、した?じゅうだ…」
「風邪」
言葉の続きを遮り、十代は苦笑う。
「オレ、…風邪なんだよ。触るとうつるかもしれんじゃん?…だ、ぁから さ」
前を見ずに、十代は云う。
「…先に、行ってくれ」
「……そっ、か」
少し呆けるが、すぐにヨハンはいつも通りの笑顔を上げた。
「なーんだ。風邪ならそう言えよ!ったくー」
仕方ない奴だなーとベッドの毛布を取り、ヨハンは十代の肩に掛け、「よしよしー」と毛布の上に彼の頭を撫でる。
「後で、差し入れでも持って来るよ!エビフライは無理だけど、何が食べたい?」
「……タマゴパン」
「げっ金のタマゴパンかよ!…りょーかい。じゃあ俺は行くぜ?さぁ、早く臥せろ」
ベッドに戻れと促すヨハン。十代がちゃんと毛布を掛けると確認し、ヨハンはヴァイオリンを箱にもどし、部屋を出る。
「…ヨハン」
「ん?」
「……ゴメン」
「?何謝ってんだ?変な奴だなー」
じゃあまた後でなーとヨハンはいつもと同じ笑顔でドアを閉める。
「…ゴメ、ンなさい」
消え入りそうな声で、十代は再び
ドアの向こうの少年に謝った。


―――…二十、二十一歩…
レッド寮から確実に距離が取れたと判り、ヨハンは空いた手を振り上げ、
拳を木に撃つ。
「くそっ!」
誰も居ない葉の影の下に、少年は叫んだ。
悲しませてしまった。
彼はそんなつもりはなかった。
留学してきて、いつも二人で行動してデュエルやったり、ドローパン勝負をしたり、遊んだり…彼らは知り合ってからずっと一緒だった。
だからだろう。
万丈目達から十代のことを聞いて、改めて気付いた。
実は、自分が相手のことを…名前、デュエルや好きな食べ物くらいしか知らない。
十代は彼と出会うまで何をしていたか、家族は何人なのか、子供頃に何が好きだったか…ヨハンは知らなかった。
だから
だから今回の件で、知りたくなった。
十代の音楽理論テストの成績を聞いて、きっと彼は楽器が弾けると思った。
普通、特別な理由がない限り、音楽理論が分かる人は楽器が弾けるのが普通だ。何となく、十代は弾ける人だと思った。
だから彼の演奏を聴きたかった。
自分が知らない彼を見たかった。

――――なのに。
『―――触るなぁぁあ!』
怖がられた。
…彼の傷を 触ってしまった。
『ルビィ…』
腰のカードケースから現れ、ルビーはまるで慰めているようにヨハンの頬ずりをした。
ヨハンは苦笑し、彼の頭を撫でた。
「…アメジスト」
『なーに?ヨハン』
アメジスト・キャットも出て、ヨハンは拳を木から離した。
「確か昨日…言ったよな?メロディーが聞こえたって」
『ええ』
「…あれは、ヴァイオリンのか?」
『ヨハン』
アメジストは溜息しながら云う。
『直接聞いてくれたらいいじゃない?昨日、私たちが聞いたメロディーは十代が弾いたヴァイオリンなのかって』
「うっ…」
バレバレと思うが、やはり心を見破られたヨハンは思わず目を逸らす。
だが次の瞬間、彼はハッと振り返った。
『ヴァイオリンだったわよ』
「!」
アメジストの返事により。
『でもね、ヨハン。あれは一部の者にしか聴こえないメロディーだわ』
「ああ、そういえば言ってたな。精霊に関わる者にしか聴くことのできない、心の曲だって。…って、俺も?」
『今は、ね』
ヨハンは頭を傾ぐ。
「なんで?」
『そ…』
口を開くと同時、一つ小さな音がヨハン達の耳へ届いた。
明るく楽しんでいるように響く音色。まるで酒を飲みながら人々が集まり、興に乗って楽器を弾いて踊るみたいな感じに、ヨハンは旋律に辿って、海辺へ向かう。
(そういえば昔も、どっかで似たような音色を聞いたことがあったような…)
ふと少年は思い出す。
草が砂に変わり、ヨハンは海辺に着き、遠くから二つの影が岩に座っていることが分かった。
音色を吹く者はあの影のようだ。
「…あ、ジ…」
少し近付くと、ヨハンはジムと分かり、彼を呼ぼうとした時、
声が喉に引っ込んだ。
「……―――」
ハーモニカを吹く者。目を閉じ、耳を傾けながらメロディーを創り出す一人の男性。明るい旋律…
……違う。
(『アイツ』が吹く曲は、いつも切ないものばかりだ)
草笛を吹く者。目を閉じ、耳を傾けながらメロディーを創り出す一人の少年。切なくて、何かを伝いたくても伝えられないみたいに旋律は悲しく…
それでも、少年は笑いながら、近付いていく自分を気付き、名前を、
「ヨハン?」
呼ぶ…
「っ!」
我に返ったヨハン。相手が急にボーっとしたせいか、ジムは演奏を止め、ヨハンの名前を呼んだ。
「大丈夫か?ヨハン」
「……あぁ…」
最初に何度も目を瞬く、すると目覚めようと強く頭を振るヨハンに、ジムは思わずクスと笑った。
「ヨハンー。ユーの顔、面白いぜ。なぁ?カレン」
「ギャオッ」
「わりぃ…」
(……あ、そっか。どっかで聞いたかと思ったら、夢でか)
少し夢のとは違うが、同じく吹く楽器で同じような動きだからだろう、ヨハンは昔の夢を思い出した。
(…でも夢のあの人は誰だっけ…)
「そういえば、何でジムがここに?」
「昨日も言っただろ?カレンはハーモニカが好きだから、暇がある時はこうして彼女のために吹くんだ」
「オーストラリアの時もそうだったのか?」
「ああ。化石を発掘する時もだ。ハーモニカを吹くと、こころは落ち着く。見つけたいものが見つからない、焦ってしまうという気持ちも、不思議と消える」
「じゃあさ、さっきは何か悩みでもあったか?」
「ノー。さっきのメロディーは、ミーがカレンのために吹くんだ。俺にとって、自分以外に聴かせたい相手はカレンだからな」
まるで応えるように、鰐のカレンは無言でジムの足元に近づく。
「ヨハンは?」
海が響く。
「え?」
「ミーの考えだけど、昨日のヨハンの演奏を聴くと…ヨハンは、誰かに聴かせたいんだって感じたぜ」
「……誰か、に」
(誰かに聴いて ほしい?)
『ヨハン』
(?アメジスト)
急に後ろに現れたアメジストに、ヨハンは少し振り向く。
『十代も、そうだったわ』
「え?」
『十代も誰かのためにヴァイオリンを弾いてた。誰かに聴かせるために、全てのこころの気持ちを曲に変えたわ。…でも、ヨハンは聴こえない。どうしてと思う?』
「……、まさか」
「?」
突然独言を繰り広げるているヨハンにジムは頭を傾ぐ。カレンは見ながら溜息しているみたいに「ギャ〜」と彼に笑う。
『ええ』
少し目を細め、アメジストはゆっくりと語らう。
指が、手に居る黒い箱のハンドを食い込み、海風に当たった。
『十代は、『人』に聴かせたくないのよ』


あの時、オレは両親に聴いて欲しかった。
彼達のために弾くヴァイオリン。
彼達のためにオレは初めて一生懸命に一人で、練習していた。
誰も居ない部屋で、誰も見えない所で、
オレはずっとずっと ヴァイオリンを弾いていた。

「…オレは、弾きたくない」
ひかりがない部屋に、十代は手を見詰める。
(『人』のために弾くとその『人』は不幸となる)
(だからやめた。両親にやめさせられた)
「……どうしてだよ…っ」
(大好きなヴァイオリンが  コワサレタ)
(どうして思い出してしまうだろう)
(だいすきだったなのに、)
「…どうしてオレの演奏が『人』を襲うんだよぉっ!」

大好きなはずのモノが オレの両親に恐れを抱かせ始めた。



特別演奏者
ジム・クロコダイル・クック

特別聴衆者
ヨハン
鰐・ カレン
精霊・ 宝玉獣全員

聴衆者
(現在・ 無)






First Beat - II 〜第一拍目のU〜
聴こえる音色、きこえないネイロ


修正:PNKさん

『人』のために 弾きたくない

2009.02.02