――――ただ、謝りたい

何に対して謝りたいか、彼にも分からない。でも、彼は謝りたいと思う時は、必ずある人…ヨハンの悲しみを感じる時だ。
じゃあどうしてだろう?…同じく、彼にも分からない。何故ヨハンの悲しみを感じたら謝りたくなるか、何故ヨハンの辛い顔をしたら自分さえ辛くなるか、彼にはわからなくて、
分からなくて。
…まるで自分が悪い事をしてしまった…そうだ。
まるでヨハンの悲しみと辛い気持も、すべては自分のせいだと。
自分はそれを作り出した原因だと。

だから、謝りたかった。
突然何かに引っかかれて怒るヨハンに謝りたい。理由をわからずに謝っても許されないって分かっていても、十代は謝って聞きたい。
もし本当に、自分がヨハンに悪いことをしちまったら彼は素直に謝る。ヨハンが嫌いなら彼はヨハンに迷惑を掛けずに離れる。だが何も言わないまま終わることだけが、
一番 嫌だ。
彼はただ、この人を傷付けたくないだけだ


大きく開いた眸は瞬く。
近いほど刻まれる視線に数度も目を閉じ、開き、思いつかない景色を確認する。
信じられないと、瞳の震えはそう伝えている。
でも口唇の感触や腰につたわる腕の暖かさ、目の前にいる風景も事実を話している。
彼は、
(ヨハッ、)

手を上げようとする時だった。
小さな濡れる感覚は頬に触る。少しずつ流れるモノ、少年はその感覚は水だと分かった。
目の前に、自分へ降っていく雫だから。
(なみ…だ?)
――――ない、ている
滴る涙は少しずつ、ゆっくりと肌に伝わり、進み、流れ、
口唇に落ちた。
まるで雨のように。
「ゴメン」
唇が離れた共に入り込む言葉。
ヨハンの、詫びだ。
「ゴメン、じゅうだい。ゴメン」
なんで、謝る?
謝らなければいけないのは、彼の筈なのに。
「ヨハン」
「ゴメン」
空と海を溶ける色の青眸は悲しく少年を見つめ、優しい指は緩やかに彼の腕を撫でる。
まるで傷ついたところに、痛みを増やしたくない触れみたいだ。
彼の腕は、怪我していないのに。
「ゴメン……っ」
再び抱き締められる。
訳など分からないのに、何故か十代は辛く感じる。
胸から伝う心の音と、髪や頬に降る雫を通して。

少し迷うが、ゆっくりと少年は腕を上げ、
穏やかに背中に手を回した。


Our Allegro
――…向かされる静かな四歩
(再び動き出すバランス)



ドアを開いて、開いてモノを探す。
だがどれも考えているモノと違い、思わず少年は不満そうに顔を膨らむ。
あきらめるか!と思う同時にあるところを開くと、探していたモノは眸に映る。
タオルだ。
(あった!)
取り上げて温かい水に付け、少し濡らすと十代は部屋に戻り、ベッドに寄せながら座る少年にタオルを渡した。
「はい」
「……サンキュ」
ゆっくりとタオルに顔を拭き、温かい感覚は実に気持ちいい。
跡をきれいにするのも、ちょうどいい温かさだとヨハンは思った。
「目、大丈夫か」
「……あぁ」
「そっか」
ヨハンは自分から目を逸らしていることに気づいたか、チラリとヨハンを覗くと十代は静かにヨハンの隣に腰を下ろす。
部屋は沈黙に戻った。


再び抱きしめられた後、二人は長い間も廊下に立ち続けた。
幸いなことに、あの時間は授業の最中のため生徒は廊下にいなかったけれど、流石に見られたら変な噂になるだろう。
特に、警告されている今のヨハンには避けるべきことだ。
「ヨハン」
軽く背中を撫でて相手を呼ぶ。
「なぁヨハン。そろそろ放さないと、ヤバイって」
だがまったく反応を出してくれないヨハンに十代は思わずため息をつく。
あぁ、どうしろって言うんだ…
思いつかないことをされてしまったことも終わらず、続いて自分を抱きしめる彼。
本当に、十代はわからなくなってきた。
ただ。
「何に、怖がっているんだ?」
肩や腕から伝わってくる震えは悲しく感じる。
何かが怖くて、放すと失うみたい感覚。
そう感じた。
「ヨハン」
優しげに彼の背中を撫で、十代は言葉を伝わった。
「オレは、ちゃんとここにいるよ?」
腰を回す手はヒクと動く。
あぁ、よかった。反応してくれた、と十代は思いながら続いた。
「…オレ、ここにいるぜ?」
「………」
「どこにも行っていない。オレはここにいるよ、ヨハン」

――――ここにいる

まるで氷が溶けたみたいだ。
少しずつ、回す腕はほっとしたように力を抜き、少年は解放された。


そういえばさ、と沈黙は十代に破れ、ヨハンは俯けた顔を上げる。
「オレ、ヨハンの部屋に来るのは初めてだっけ」
「…あ…そうか。そうだったな」
思えば確かに十代の言うとおりだ。
十代と知り合ってヨハンはよくレッド寮まで遊びに行くだが、十代はヨハンのブルー寮に行ったことがない。元々、ヨハンはブルー寮よりレッド寮の方が自分に向いているためか、寝る以外の時間はほぼ学園とレッド寮に居た。(偶々道を迷ったこともあるだが…)
「ブルー寮って、やっぱでけぇーな」
部屋を見渡しながら十代はクスと微笑む。
「少しレッド寮に分けてくればいいのにー」
「でも、レッド寮の方が十代に向いているだろ?」
「それもそうか」
改めてヨハンの側面を見る十代。
「なぁヨハン」
「ん?」
「こっちに向けよ」
「なんだよ急に」
「いいから向けって。お前、さっきからオレを見てない」
「向きたくないから向かない」
「なんでだ?オレの顔を見るのはそんなに怖いかよ?」
「怖いさ」
タオルを握る指に力を入れ、ヨハンは続く。
「同じことをしようとする自分が怖い」
「おなじこと…?」
「廊下であったこと」
一旦言葉を止め、彼はつづいた。
「…十代だって、また男にキスされたら嫌しか思わないだろ?」

―――――俺なら無理だ

ヨハンは無理と思った。もしも、同じことが彼に起き、友人と思われる人にキスされたら、彼は受け入れる筈がない。
できるはずがない。
(寧ろ絶交するかも)
彼にはできない。友人と思われる人にキスされ、好きだなんて告げられたら、その友人との『友達』関係もそれで終わる。
なかったことにしても、その友人を避けるんだろう。
…ヨハンなら、そうする。
だがもし、相手は他の人ではなく、
十代だったら

「キス」
少年の独言に我に返るヨハン。
一度目を瞬いてみると何かを考え始め、わかったように十代は呟いた。
「そっか。あれはキスだったんだ」
石に撃たれた気持ちになった。
いや、もうショックすぎで立ち上げることもできない!!
「…じゅうだいさん?」
「アハハ!わりぃーオレ、そういうことには鈍いから、気づかなかった!そうか、あれはキスというモノか」
「今まで何と思ったんだ!?」
「いや、特になにも?」
思わず自分に向いたヨハンに十代は頭を傾く。
「だってキスって、恋人同士がすることじゃん?」
あぁ、一応知っているんだ…ってじゃなくて!
「ちょっとまて…ちょっと考えさせてくれ」
頭を抱きながら左右に振るヨハン。
いろんな意味で衝撃すぎる言葉のせいで少年は力を抜けられた気がした。確かに相手はキスというモノを知っている気がするだが、彼の言葉の意味がわからない。
キスは恋人同士がすること。
では彼は受け入れているか?その行動を。
自分の気持ちを。
「十代」
顔を上げて隣の少年を見る。
相変わらず、琥珀色の眸はまっすぐに自分を映っている。
「俺、お前が好きだ」
ヨハンは伝わった。
「…って言ったら、お前はどうする?」
少し、驚いただろ。
眸は僅かの瞬間に見開き、揺れていく。本当に、僅かの一瞬だけだった。
「オレも好きだぜ?」
「っ?!」
「…と、」

「ヨハンは、それを聞きたいか?」

青い両瞳は揺られ、言葉が出なくなったヨハンに十代は小さく微笑む。
彼は天井に顔を上げた。
「オレから聞きたい言葉なら、いくらでも言えるし、伝えることもできる。でもさ、ヨハン」

――――それは、お前が本当に欲しがっている『言葉』じゃないだろう?

湧いている。
夢と重なっている、その言葉。

――――『お前しか見ていない』
――――『愛している』
――――…それを聞いて、お前は喜ぶか?
――――違うだろう?お前も知っている。この言葉にお前が欲しがっている感情は入っていない。嘘に作られているその言葉は、…ヨハン
――――お前の、欲しがる『本当の気持ち』じゃない


「ちょっと前、ヨハンも言ってたっけ?相談しに来た翔に何も言わなかったオレは、案外冷たいって。…だってさ。あのとき、例えオレが翔に何かを言っても、それは翔にとって変わりはない。結局、答えは翔自分で探すモノだから、オレは何も言わない。オレにできることは、翔の変わりと成長を、見届けることだ」
違和感がする。
確かに十代の言うとおり、所詮人間はそういうモノだ。どんなに仲良いい友人がいても、相談できる人がいても、結局友人が言うことはアドバイスにしかできないし、未来の道を決めるのは自分しかできない。
もし自分で決められず、ただ他人の言葉で道を決めるなら、
その人には、『自分の答え』を見つけることができない。
でも、少し変な違和感がする。
何かを、避けている違和感が。
「ひとつ、聞いてもいいか?ヨハン」
「っ、なんだ?」
「オレ、ヨハンに怒らせたことをしたか?」
「………。」
少し黙ると、ヨハンは手を伸ばす。
「十代」
少し力を入り込み、指先は十代を自分に向かせた。
「お前、俺が好きか?」
「?だから言ったじゃん?オレ、ヨハンがす…」
「俺の目を見てから答えろ」
琥珀の瞳が震えた瞬間。
「俺が好きか?」
ヨハンは、
気づいた。

―――少年は微笑んだ。
優しく、でもどこか辛く、切ない小さな笑顔。


彼の、こたえ。
「…ゴメン」
まるで傷付いた子供を撫でるようにヨハンは十代を抱きしめる。
背中の腕は暖かい。
「イライラしちまって、十代に怒って、ゴメン」
「じゃあさ、」

「何か奢ってくれよ」

「…ドローパン?」
「いいや。金のタマゴパン」
「ってマジかよ」
「マジだ」
沈黙が続き、二人はチラリとお互いを覗き、
「「…ぷっ」」
笑声が部屋に響き回った。


初めて、見えてきた気がしてきた。
ヨハンは気づいた。
少年のこころの言葉。
「んじゃあ十代、先に行ってくれ!俺は顔を洗ってから行く!」
「待ってやろうか?」
「こんな顔をお前に見せられるか!」
「えーオレは別にいいのにー」
「ちぇ」と舌打ちをし、十代は仕方ないと部屋のドアを開く。
「んじゃまた後でなー」
「あぁ!」
少年の、もうひとつの姿

ドアが閉じる瞬間に紅茶髪の少年は座り込む。
力を失ったように彼はドアに寄せ、
十代は、呟いた。

小さな謝りを
「ゴメン…」

青髪の少年は気づいた。
紅茶髪の少年の笑顔の後ろにいる
静かに、緩やかにすべての感情を受け入れ、すべての感情を拒む
彼の悲しみ。



アニメ3期・ヨハ十『Our Allegro』
――…向かされる静かな四歩

2009.12.01