たった一人の存在。

それは誰より大切で大事で、失いたくない唯一の者。例えたくさんの悲劇が起きようと、この悲しみ、苦しみから守りたい存在。でも同時に思う。
……大切な人を失った気持ちは、一体どんな気持ちだろ?

―――もし俺が居なくなったらお前はどうする?

遠い昔、彼に聞いたことがあった。
…お前を 失うってことか?
ただの気紛れな質問だった。
いつものことで、旅人からいろんな事を聞きながら流した話だった。偶々耳に入った情報を思い出して、目の前の彼を見て聞きたくなっただけだった。
…じゃあさ
なのに彼は笑顔のまま自分を見つめようとしている。とっても純粋でまっすぐで。
…もしオレが居なくなったら、お前はどんな気持ち?
一瞬、何も言えなかった自分に彼はまた笑う。
そして、
…もし お前を失ったらオレは

彼は泣いた。

――――オレはきっと 翼を失った鳥と同じことになるだろうな

どこにも行けず
どこにも飛べず
でも最期まで笑って

「『お前の名前を呼ぶよ、ヨハン』」
お前と出会ってよかったと伝えられますように
あぁ
自分は気付いた。ヨハンは思った。
彼は幸せ者だと。そして、目の前の少年とはずっと一緒に居られないのだと

 

詠唱・ の二章目
彼は彼であり彼ではない、一人の二人

 

光が消えてゆく。
眩しいはずの日昼はいつの間にか暗くなり、恋しい温さは涼しくなっていく。
『ガシャッ』
白い廊下は闇に塗られ、扉はゆっくりと閉められた。
「十代は?」
溜息を漏らすと、ヨハンは後ろのエドを見ずに応えた。
「やっと寝たよ」
「そうか」
思わずホッとするエド、亮と万丈目。チラリと彼らを見るヨハンは頭が痛くなってくる気がした。
「一体どういうことだよっこれは!」
「十代とのキスの事か」
「き…ヘルカイザー!あっさり言うんじゃねぇ!」
それにあれは未遂だ!
「親友と初めの口付けはどうでしたか?ヨハン先輩」
「だからやってねぇ!っていうか敬語はやめろ、気持ち悪っ!」
「何だ?外人はよくするんだろ?キスの一つ二つで減るモノはない」
「…だったらお前にやろうか!そのやっても減らないキス!」
「!寄るなこのフリルゥ!」
「あれを」
一気に子供の二人を黙らせ、亮は本題に戻る。
「どう思うんだ?ヨハン・アンデルセン」
「…………」
扉をチラッと見て、少年は素直に語る。
「十代、だろ?言葉が違うけど」
「さっき、十代の言葉を分かった顔だぞ」
「さっきって…あれは…っいや、俺にもわかんねぇよ。頭が勝手に意味を教えてくれたから、俺にもわかんねぇ」
「ならば十代はさっき、何を言った?」
「…『ヨハン』、と」
『ドグン』と一瞬、心臓が跳んた気がする。
全員の視線はエドに向かった。
「…君の名前を呼んだんだろ?」
「エド…っお前、分かってんじゃ…」
「いいや、君の名前の部分しか分からないんだ。ヨハン・アンデルセン」
でもあの発音を聞くと僕は何故か、懐かしい気がする。

まるで小さい頃、お父さんに名前を呼ばれた、その幸せな気持ちだった。

 

「『…ヨハン!!』」
あの時、十代である筈の少年はヨハンを抱きしめながら泣いていた。
「じゅ、十代?!どうしたんだよ」
何も返事せず、静かに泣く少年にヨハンは混乱した。
一体どういうことなんだろう。
いつも通りに朝に起きて食事して、学園に向かったら翔から「アニキが来ないっス」と聞いて、体調が悪いのだろうと思いヨハンはレッド寮に行こうと思った。途中、道迷ったが十代を見つけることができ、彼に声を掛けようとする時にエド・フェニックスに邪魔され(?)、後は…
何故か自分は十代に抱きしめられている状態になった。
「あの〜…さ、十代」
とりあえず相手を落ち着けようと、ヨハンは少年の背中を優しく撫で回す。
「どうしたんだ?それにこの髪…」
こんなに長かったっけ?っとヨハンは手を伸ばそうとする同時、十代は彼から少し離れた。
冷たい両手はゆっくりヨハンの頬に触る。
「………」
「?…十代ー?」
「『…      』」
…会いたかった
「えっ?昨日も会ったじゃねぇーか?」
「『      。           。』」
やっと会えた。今年も会えないと思った。
「…こと、し?」
「『…             』」
…すまない すまない ヨハン
―――― スマナカッ タ
静かに 
少しずつと少年はヨハンに近づいていく。
『ヨハン』
『ヨハン』

ヨハンは動けない。
少年の泣き顔のせいか、瞳から伝わる悲しみなのか、彼は何も考えられず頭が白に塗代えられ、ゆっくりと自分に近づく少年を見ることしかできなかった。
口唇に触る前の瞬間、一人の声が白色を切り換えた。
「――――――ヨハン!」
『――――――  !』
一瞬、青髪の少年は紅き髪の少年を離させた。

琥珀の瞳は愕然したが、ゆっくりと十代は安らかに微笑しながらヨハンの肩に頭を預ける。
「『…あの時のオレも、同じことしたんだな?』」
「……十代?」
「『ヨハンを    』」
拒んだ

「…―――っ!十代!オイィ!十代!」
「!早く医務室に連れて行け!」
まるで糸が切られた人形のようにヨハンの肩に倒れた十代。エドや亮と一緒に彼を運び、ヨハンは意識が失った少年の顔を見つめる。
頭が理解した言葉
十代が呼んだ別の言葉の名前 『ヨハン』
名前を呼んだはずなのに頭は別の称号に変えてしまったエドの言葉 『兄上』

二つの言葉に繋がる糸に、ヨハンは理解することができなかった。

◇ ◆ ◇

「…何故、十代があんな風に変ったんだ?」
ヨハンは窓の外を観る。星は輝く光っているのにヨハンはまるで雲に覆われた空の気分だ。
「俺達も校長先生から聞いただけだが、十代は生まれてからこういう体質になったらしい」
「生れてから?」
ごくりと亮は頭を頷く。
「毎年、同じ時期に彼は年に一度、人間の言葉が分からなくなる」
「言葉が分からない?自分の心を閉じ込めたとかじゃないのか?」
「似たモノだ。最初、両親に気付かれたのは六才の頃だった。久しぶりに家族で一緒に遊びに出かけることになり、前日から十代は楽しみにしていた。だが当日、彼らは行けなくなった。理由は十代が突然、喋られなくなったためらしい」
「喋れなくなったと言うより、俺達が分からない言葉をしゃべることになった方が正しいだろ?
ヘルカイザー」
「万丈目の言う通りだ。あの日の十代は誰が呼んでも返事せず、誰にも話せずにずっと空を見るのみ、予定はキャンセルだ」
「次の日に十代の両親は十代を病院に連れて行こうとしたが、十代はいつもの彼に戻り、彼自身も何も覚えていなかった。両親は一旦安心した。でも来年の同じ時期に、同じことがまた起きた」
「つまり、年に一度発作が起こるってことか?」
「あぁ」
「じゃあ明日は元に戻るんだ。よかったぁー……、でも原因は?」
「不明だ。『寂しいから』、と十代の両親はそう考えていた。俺は…そうだな。『知らない国に入り込んだ、人を信じない迷子』と考えた。…ヨハン・アンデルセン」
知らない国に入り込んだ迷子。
確かに言葉が違う国に入り込んで、普通に人を信じない子供なら声をかけても言葉が違うため、聞こえない風にする。
例え本当に子供の目と合ったとしても、きっと子供は無視するだろうな、と思うヨハンだが一瞬、
静かな殺気が自分を襲い、肩はヒクッと跳べる。
少年は殺気の主を見つめた。
「な、なんだよ。ヘルカイザー」
「さっきまで、俺はそう思ったぞ」
「…今は違うって言いたいか?」
「まだ気付いてないのか、ヨハン・アンデルセン」
今度はフルネームか!エド!
「…原因はお前と関係あるってことだよ、ヨハン何故お前は十代のあの言葉が分かる?」
「だからっそれは…」
「それだけじゃない。何故君は十代のあの言葉を分かる?何故十代は十代にならない日に彼はずっと君の名前を呼ぶ?そして何故、」

―――――彼はお前の『言葉』しか分からない?

ぐっと唇を噛む。
「…エドも十代の言葉を分かっているじゃねぇか!十代が俺の名前を呼んだ時、お前も分かった顔だぞ!」
「くっ、あれは……」
ヨハン自身も知りたかった。何故自分しか親友の言葉が分からないか、どうして十代は彼が知らないはずの言葉で自分の名前を呼ぶか。
気持ちが落ち着かない。イライラする。
何故だ
「とりあえず、明日になったら十代は元に戻れるんだろ?だったら明日にでも十代に聞こう。俺達だけじゃ何も分かんないし、今は十代を休めさせろ」
「ヨハン!」
後ろからの呼び声を気にせず、ヨハンは廊下から姿を消え、寮に戻る方向に向かう。
「…確かにアイツの言う通りだ。では俺も先に帰る。エド、連絡は頼む」
「あぁ、わかった」
お前達いつからそんなに仲良くなったんだ!?
普通に喋れるエドと亮を見て思わずツッコミたい万丈目。既に廊下から姿を消えた亮にエドも帰ろうとする時、一つ見えない物が万丈目の服を握っていた。
「ねぇねぇ〜アニキィー…」
「ん?なんだ、おじゃまイエローか。何だ?」
「実はさぁ、さっき十代のアニキのことなんだけど〜…」
「?お前は確か…おじゃま三兄弟のおじゃまイエロー…」
「はいそうですよっエドのアニキ!覚えてくれてありがとうよぉー…ってぃたい!」
「いいから早く言え!」
「じ、実は今日の十代のアニキが言っていた言葉…オイラ、知ってるわよぉ〜…」
「「!」」
二人は愕然した。
「貴様!本当かぁっ!!」
「本当に十代の言葉を分かっていたか!」
「わ、分かるじゃなくて…知っているわよぉ。あれはねぇ、古代の精霊界に使われていた言葉なんだよ」
「…なんだと?」
「オイラもよく覚えていねぇーけど、確か古代の精霊界は今のと違って、別の言葉を使っていたわ。でもある事件のせいでほぼ全ての文献も失くしたからぁ〜…今の精霊達は少ししか分からないわよ」
「ある事件?」
「んっとぉ……確かあの頃の精霊界の王様である竜王が、闇に操られたせいで精霊界は一旦滅びたわ。あの事件で生き残った精霊達は元々自分の姿を隠しながら人間界に暮した精霊達と、事件から逃げ出した者達のみって」
「何故さっき言わなかったんだ!!」
「だ、だって〜」
万丈目の怒りに対し、おじゃまイエローは少しずつ泣き始めた。
「うへぇええぇ〜だってアニキはいつもオイラのこと信用してくれないしぃ〜!カイザーのアニキはオイラのこと見えないし!オイラ、話したらアニキに『消えろぉ!』っと言われちゃうからぉ〜」
「うわああぁあ―――!うるさいっ!大きな声で泣くなー!」
「万丈目、お前はもう少し精霊の気持ちを考えたらどうだね?」
「き、貴様に言われたくないぞっエド!」
「それで?」
綺麗なスマイルで、エドは優しく自分の後ろで泣くイエローに問う。
「この話について少し興味がありますね。さっき、十代の言葉は古代精霊界の言葉ですか?」
「そ、それは…オイラにもわからないよ…あ、でも。十代のアニキが呼んだあの名前だけは、
古代精霊界の言葉と思うわぁ」
「…名前だけか?」
「そうだよぉ!オイラがまだ小さい頃によく聞かれる名前だから、発音がすっごく十代のアニキと言っていた名前に似ているんだよぉ」
「貴様にも覚えられるってことは、あの名前は精霊界ではかなり有名ってことか」
ドキッと銀髪の少年はある事を思いつく。
「…あの名前の発音は古代の誰に、似てますか?」

あれはかつて人に忘れられた一つの物語
人々が知らされていなかった小さな物語

「竜王だよ!あの発音はすっごく竜王の名前に
似ているわぁ」

あれはある二人の 物語だった。

 

次の日。
元に戻れるはずの日常は、戻っていなかった。
「……ど、いうことだよ」
「…見ての通りだよ」
ヨハンから視線を移り、エドは複雑な表情で目の前の少年を見る。
気付いたか、彼はヨハンを気付き、笑顔しながらご挨拶した。
「『おはよう、ヨハン』」

――――――十代は 元に戻れなかった


詠唱・ の二章目
彼は彼であり彼ではない、一人の二人
彼は『彼』なのに 俺はまるで『彼』を失ったような気分だった