五月。
春の終わりと、夏の見舞うとき。夜は涼しく、まるで地上の命に子守唄を与えるように優しい微風は命を夢に導いていた。
――――――『 』
夜風の子守唄に、月を見上げているひとりの少年。
「 」
誰にも聞こえない小さな声で、ゆっくりと言葉を紡いでゆっくりと口を動かし、誰にも聞こえない言葉は風の音に消されていた。
それでも少年は優しい月光に抱きしめられながら同じ言葉を繰返す。
まるで誰かを呼んでいるように…。
「 」
「 」
一つ一つ。
少年は同じ名前を呼び続け、
紅茶色の髪は曾ての『彼』のように 紅く見えた。
――――――『ヨハン』
『お前は今 どこにいるだろう』
詠唱・ の一章目
空白で懐かしい一言
「翔、十代は?」
授業が始まる前、青髪の少年は同じ教室に居る水色の少年に話し掛けた。
「あ、おはよっス。ヨハン君」
「おはよう。それより十代は?」
「朝からアニキを探すんスか」
青髪の少年・ヨハンは教室を見渡り、紅茶色の人物・十代を探す。
遊城 十代。
デュエルアカデミアの留学生活で初めて知り合った友。いつも人より元気でデュエルに楽しむ彼は誰よりも眩しい笑顔を持ち、自分と同じカードの精霊を見ることができる。そのためか、出会ってから似た者同士と思われる彼達もお互いのことを気に入って、親友となった。
毎日会ってるせいか、珍しく十代の姿が見当らないことにヨハンは疑問を持った。
どうせまたサボりだろうと直ぐに考えたヨハンだが、どうやら違ったらしい。
「アニキは今日―………っあ、ヨハン君は知らないっスね」
「?何のことだ」
「アニキは来ないよ、今日」
「へぇー…まさか風邪でもひいたか?でも馬鹿は風邪引かないだろうなー」
(デュエル馬鹿に言われたくないっス!)
ハハハと笑い始めたヨハンに翔は彼に気付かないようにチラッと睨む。
「風邪じゃないけど、アニキは今日………」
いきなり言葉が続かなくなり、ヨハンは頭を傾ける。
「…………」
沈黙。
「………もしもーし、オーイ。翔、大丈夫か?」
「あ、クロノス先生が来たっスね」
逃げられた!!と思ったと同時に翔はすでに自分の席に着き、仕方ないと思いながらヨハンも自分の席に戻る時だった。
「ヨハン君」
翔は小さい声で彼に呼びかけた。
「明日になったら元に戻るけど、詳しい説明するのは面倒ですから、自分で見に行った方が早いっス!」
「え?じゃあ十代はどこに?」
「そ…」
「みんなさーん!席に戻るノーネ!…シニョールヨハン!席に戻りなっさーい」
「はーい」
「ちぇっ」と気付かれないように舌打ちし、ヨハンが席に戻る時だった。
シャぁ…
『 』
「?」
ノイズみたいな雑音の中に、誰かの呼び声が聞こえた気がした。
思い出せない、でも懐かしい声。
「………気のせい、か」
『ヨハン』
ゆっくりと 少年は呼び続けていく。
ガラスを通しながら輝いている赤き影を見詰める銀髪の少年。彼は溜め息をつきながら無言で後ろに立つ人物達を振り返る。
「コレか」
「…あぁ」
真っ黒の少年は銀髪の少年に答えた。
「僕はその現像を見るのは初めてだが…万丈目達は一昨年から知っていたか?」
「翔やカイザーなら一昨年から知っていたが、あの頃や昨年には俺は学園にいない。今日も初耳だ」
「昨年も…なるほど、ホワイトサンダーのじけ…」
「黙れっエド!」
「ではヘルカイザー」
万丈目の暴言を気にせず、エドは深青色の髪を持つ青年を見る。
「……一回だけだ」
「一回?」
少し黙ると、青年・亮は再び喋り始めた。
「一昨年のことだ。あの日の俺は、卒業後のことについて考え込み、気持ちを変えたいため海浜まで散歩しに行った。そこにひとりの赤き姿が見掛け、俺はアイツが十代だと気付き、声を掛けた」
そういえば天上院くんとカイザーも師匠と同じ海が好きだったらしい…と万丈目は昔、師匠である吹雪の話を思い出す。
「だが」
一旦目を閉じ、亮は顔を上げる
「あの時、俺は気付いた。…あの者は十代であり、」
―――――俺たちが知っている十代ではない
話を掛けても通じない。
相手は確かにモノを見えるし声も聞こえる。だが返事は返ってこない。
例え目の前に立っていても相手の眸はまるで目の前に居る『者』の存在を視線から消せ、
『者』を彼に気付かせない。
「あれは…そうだな。まるで知らないところにいるま…」
「待て」
言葉が止められ、二人はエドに視線を移すと彼は何かを探しているように外を見渡す。
そしてハッと気付く。
「…十代が『また』居なくなったぞ!」
「「!!」」
いつの間にか、紅き姿は『再び』人の目から姿を消えた。
「 、 」
海風に吹き上げる、一つ一つ散かす紅い糸の髪。
海がいい。紅き姿は思う。
彼は誰も聞こえない柔らかい声で口を開き、海の音を聞きながら目を閉じる。
『 』
青い色。青い彼。
海のような、空のようなヒト・『 』。
少年は再び一つの言葉を詠む、
…時。
「げっここが海辺なのかよ!…って、十代…?」
ようやく森から脱出することができ、島の向こうに辿り着いたヨハンは周りを見渡す。本来の彼はレッド寮に行くつもりだったが見事に方向を逆に間違った。方向音痴の彼が島で迷うことはもう日課である。
だが同時に、彼の直感は意外と鋭かった。
「おーい!十…」
「無駄ですよ」
十代を見つけ、彼を呼ぼうとすると一つの声に邪魔された。思わずヨハンは二回目の舌打ちながら振り返ると、視線に入った人物はエドと亮だった。
「呼んでも無駄ですよ、ヨハン先輩」
『ヨハン』
「無駄ってどういうことだよ」
なるほど、まだ翔から聞いてないか…
すぐに事情を理解したエドは二回目の溜息をつく。ヨハンに説明しようと視線を彼に向けた時、
「……――――」
―――――ひとりの少年が眸に映る。
「………な、ぜ」
「へぇっ?」
後ろにいる少年を見ると、彼は自分を見詰めていた。
年に一度、誰も見ようとしない眸
誰も気付かない視線
年にたった一日に、一人しかいない世界にいる少年は今
ひとりの少年に 目を見開いている。
「…十、代?」
ゆっくりと。
少年は立ち上がった。
「… 」
「え?」
小さい声、でも聞こえる言葉。
でも言葉を分かる人間は居なかった。
「 」
――――『ヨハン』
かつて聞いたことがあった声。
「俺が、どうしたか?」
その一瞬だった。
少年はその一言で、
「『…ヨハン!!』」
ヨハンに飛び込み、涙が一つ一つと降り、
胸に広がる紅き長髪に落ちた。
―――――やっと お前に会えた
『ヨハン』
詠唱・ の一章目
空白で懐かしい一言
聞いたことがない言葉。でもそれは俺の名前だと分かっていた