青と蒼、赤と金 2



いつからだろう。
…いつから、彼は一人暮らしに戻ったのだろう。
数年…数十年も経っていないと思う。数百年、数千年という時を過ごした訳じゃないけれど、何故か長く感じる。
独りで旅をしていたあの頃より、ずっと長い。
一日が過ぎ、一週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎ、一年が過ぎ、十年が過ぎ…それ以上の時間が流れた。
この場所には彼しかいない。
彼しかこの場所にはいない。
二度とひかりがつくことのないリビング。
誰もいない部屋。
空っぽの玄関。
揺れなくなったブランコ。
音のない屋敷。
この場所には誰もない。彼しかいない。誰も来ることはない。
それでも、彼は待ち続けていた。
春の香りを感じ、夏の草原を感じ、秋の風を感じ、冬のゆきを感じ、雨音を聞き…
待ち続けている。
たったひとりの帰りを、たったひとりの足音を。


いつの間にか、数十年の時が流れてしまった。だが、待ち人は訪れず、かわりに見知らぬ人間が現れた。
彼は新たな童実野町…ネオドミノシティの維持治安局長官に呼ばれ、一人の子供を預かった。
昔、彼と『ひとり』は精霊が見えるために、人の社会に受け入けられない子供達を養子にしたことがあった。
子供はその力を制御することができなかった。そのため、彼らは子供達のこころが安定し、心身ともに成長して力を制御できるようになるまで見守っていたのだ。
維持治安局長官に預けられた子供はゼロ・リバース事件の開発者・不動博士の一人息子であり、近い未来に赤き竜と共に戦うシグナーの一人。
不動 遊星――

おかゆを舐めて、味見してみる。
少し薄いが丁度いい感じで、温度は大丈夫だと器に移し青年はキッチンに出る。リビングに向かうと、窓を見つめ微動もしない蒼の子供が目に入り、青年・ヨハンはため 息をついた。
「アメジスト、タイガー」
『うん』
『異常なしだ』
ソファの近くに座る精霊、アメジスト・キャットとトパーズ・タイガーに話しかけ、ふたりは遊星を一瞥すると、ヨハンを見上げる。
首を左右に振るふたりにヨハンは苦笑した。
「遊星」
「………」
呼ばれても返事しない子供。気にもせず、ヨハンは話を続けた。
「お腹減ったら食べればいいからさ、ごはんはここに置いとくぜ。」
「………」
無理矢理に預けられたとはいえ、ヨハンは子供を育てたことがないわけじゃないし、(料理はあまり上手くないけど)力を持つ子供の育て方も知っている、…のだが。
問題は、この子のこころだ。
ゼロ・リバースが起きた頃はまだ一才の赤ん坊だったはずなのだが、どうやら彼は目の前で起きたことを理解しているらしい。赤き竜の力により命を長らえ、事故の一年 後に救出されはしたものの、残酷な事故が目の前に起きたショックにより遊星は心を閉ざしていた。
彼は、言葉を発さなくなっていた。
(心が抜けたというべきかもな…)
身体はここにいるけどこころはいない。器はここに生きていても、こころ…魂はまるで遠いところに行ってしまったかのようだ。
食器を遊星の隣に置くと、ふと何かが目に入りヨハンは子供と同じ方向を見る。
窓の外だ。
「…お?ゆきだ」
『あら、本当ね』
『また、この季節か』
ヨハンの言葉に精霊達も窓の外を見上げる。
ゆっくりと降る白い涙。
少し冷たくて寒いけど、彼らはゆきが嫌いではなかった。ヨハンにとって、ゆきは大切な景色でもある。
悲しいけど、憎めないほど愛しい記憶。
ゆきには、あの人との思い出が沢山つまっているからだ。
「………あいつは、」
曇る窓を拭き、ヨハンは外のゆきを見つめた。
「今は何をしているんだろう?」
ちゃんとメシを食っているかな?
きちんとした場所で寝ているかな?
疲れたときは休んでいるかな?
無茶なことをしていないかな?
病気に気をつけているかな?
怪我をしていないかな?
…どこかで、
―――――ゆきを見ているのかな?

「まさかな…アイツはこういうヤツじゃねぇし」
思わず鼻で笑い出す。自分はいつからこんなことをいうようになったのだろう。
アイツが聞いたら笑うに決まっている。
決まって…、…
「…ほんとうに分からない」
『?どうしたの?』
「……なぁ、アメジスト」
いきなりの独り言でアメジストは首を傾げたが、ヨハンの呼びで彼女は相手を見た。
「何も言わずに別れる筈だったのに、何故あんな台詞を言い出したんだろ?」
余計に分からなくなるじゃないか。別れる理由と、離れる意味を。

――――これだけは、本当だぜ?…ヨハン

ゆきの中に外された指輪と遠くなっていく足の跡。叫びを無視し、呼び声に応えず、離れていく赤の姿。
でも。
でも、姿が見えなくなる前、一瞬だけ振り返った。
幸せに感じる同時に切なくなる言葉を残して。

これだけは、本当だぜ?…ヨハン


――――おまえを愛している
大きな割れ音と共に青年はハッと我に返った。
何が起きたのかと思いながら振り返ると、目の前にいるのはコップを落とした金髪の子供の姿があった。…が、
何故か顔を真っ赤にしている。
「ど、どうしたんだ?ジャック」
「……な…な、なななななにをいっているんだっきさまはー!」
「え」
子供・ジャックの反応に十代は目を瞬く。もしかして、自分は口に…?
「オレ、なんか言ったか?」
「いったぞ!っていうかそんなけしからんことをいうな!こっちがはずかしいんだ!」
「わりぃわりぃ」
「あやまるきがないくせにいうな!」
「おい、待てよ。ジャック」
部屋を出ようとするジャックを慌てて十代は引きとめる。ヒクと足を停止させ、固まったジャックはロボットのようにぎこちなく振り返った。
「な…なんだよ」
「これを片付けろよ。おまえが落したんだろ?」
十代は落ちたコップを指す。木製のフロアに落ちたコップは既に砕け、中に入っていた飲み物が床に広がっている。
「片付け方を教えるから、何かを持って来い。あと、タオルも」
「ぅ……わかった。…けが、するなよ」
「?」
部屋を出るジャックの背を見送りながら十代は首を傾げる。自分は片付け方を教えるって言ったよな?
あの言葉から考えると…何故か、ジャックが落としたコップを自分が片付けることになっている気がする…
(っていうか、けしからんこと……。…けしからん、か)
ふとジャックの反応を思い出す。
自分が言ったことだから気にしてないけど、確かに子供には少し刺激が強いかもしれない。むしろ、昔の自分はあんな言葉を言えただろうか。
「………」
(さて、これからどうしようかな)
破片を撫でながら十代は考え込む。
モーメントの中に入り、ジャックを助けてから、十代は時々ジャックが暮らす屋敷…マーサのところに邪魔するようになった。
毎日くるわけじゃないが、できるだけ彼はジャックがいるところに…ジャックを見ることのできるところにいる。
何かの予感、かもしれない。
(シグナーと、サーキット)

モーメントのひかりにより、彼は『知るべきではない秘密』を知ってしまったが、まだ謎は多い。
ゼロ・リバースは何者かの手により引き起こされた。それは自然災害でもなく、開発者の不動博士でもなく、……この時代で初めて生まれたシグナーの手により人為的に 起こされた事故であった。
もちろん、あのシグナーも好んで事故を起こしたわけではないだろう。彼も裏で誰かの言葉に惑わされたのだ。
だが、十代にはわからない。
ゼロ・リバースを起こす理由がはっきりしない。モーメントは新たな粒子―遊星粒子を研究するために、発見者である不動博士を中心に作られた研究所だ。ゼロ・リバー スがこの研究を止めるために起こされた事故と仮定するなら、何故『サーキット』は顕現しない?


サーキット。
既に起きた出来事は変えることができない。だが、自由に次元と時空を越える赤き竜がコインの表にいるように、コインの裏にも同じ力を持つモノ達が存在する。『彼 ら』はこの力を使い、歴史を彼らが思う『正しき歴史』に修正しようとする。そのために必要となるのがサーキットだ。
歴史が彼らの思うとおりに動き、思うとおりに変えられるなら、何故今回の事件にサーキットを使用しない?
遊星粒子の発見が邪魔なら、なぜ…。………
ふと何かを気づいたように十代は少しだけ目を見開く。
(邪魔なら……。…邪魔じゃないから?)
邪魔ではなく…もし、その発見は邪魔ではないが、研究の内容が邪魔なら?彼らが望む方向に研究が進まないから、モーメントごと消滅させた。……少し違うっぽい。
(うーん…)
駄目だ、わからない。情報がなさすぎで理解できない。
(どうなっているんだ、これ…)
研究の内容が邪魔か、遊星粒子の発見が邪魔か、研究員が邪魔か、……
研究員。いわゆる発見者と研究の責任者である不動博士。彼に発見されたことにより、歴史が大きく変わる…あるいは、悪い方向に進んでしまうため、モーメントごと消 滅……
いいや、それはない。
モノではなく、不動博士のみが邪魔なら、サーキットを使わなくても他人を使って彼を殺せばいい。
態々モーメントごと、彼と研究を消す必要がない。
………。
(あぁ。どうしてオレの頭ってこんなにわるいんだ…)
思わず落ち込み、十代は頭を抱えたくなった。どうして自分はあの人のように頭が良くないのだろう?
ふと昔に会った、未来から来たある人物を思い出す。
(そういえば、遊星も頭が良さそうだったな…シグナーだし、器用だし)
…………。
まてよ?
(シグナー。……遊星のお父さんって、)

――――不動博士じゃないか?

「いてっ」
僅かの痛みで手のひらを見る。破片を持っていることを忘れ、十代が拳を握ったため手を切ってしまった。紅い雫が指から浮き出している。
「あちゃー」
指先を舐めながら思考を再開する。
もしかして、『彼ら』は遊星粒子の発見を予想しなかったかもしれない。モーメントのひかりは、あれから何度行っても起動することがなかった。だが、確信がある。あ れが恐らく遊星粒子だ。
あの力を誰にも見つけて欲しくなかったが、まさかの発見により表舞台に立つことになってしまった。あのひかりの正体は歴史に大きな変化を与えるため、『彼ら』は サーキットで不動博士ごと消そうとした。
だが、ある要因が絡み、それができなかった。

赤き竜。
『彼ら』と同じ力を持つモノであり、アザをシグナーに与える神でもある。『彼ら』が不動博士を消せなかった理由は、ただ一つ。
彼の息子、シグナーの不動 遊星の存在のためだ。
もし不動博士が居なければ、シグナーの遊星が生まれない。シグナーは多くの魂と血縁を繋がって僅かの可能性で生まれるモノだ。
例え遊星粒子の発見が遊星の命が誕生する前でも、赤き竜はすでに知っていたのかもしれない。
この人の子供が、シグナーになることを。
(この考えがあっているのなら『彼ら』がサーキットを実行できるはずがない)
そうだ。できるはずがない。できるわけがない。
『彼ら』がサーキットを実行しようとしても、赤き竜はシグナーを救うためにサーキットの起動を妨害する。
…『サーキットが実行できないなら、これから起きる歴史はより晩くなる』。
恐らく、それが『彼ら』の考えだろう。
モーメントの開発により起きる歴史の変化を延ばす為、『彼ら』は一番目のシグナーの迷いを利用し、ゼロ・リバースを起こした。
不動博士と研究を消すため。
(………?)
ふと何かが気にかかったように十代は眉を歪める。自分はいま、何かを忘れているのではないだろうか?
「なんだろう…」
「ってまたなにしているんだ!きさまってやつはー!」
再び怒りの叫びで我に返り、十代は溜め息をつきながら振り返る。いつの間にジャックが戻り、掃除に使う雑巾、ほうき、チリ取りとバケツなどを持って来ていた。
…顔は、赤くなるぐらい怒っているけれど。
「なんでおまえはいつも怒るばかりなんだ?ジャック」
「きさまのせいだろ?!っていうかなんなんだ、これは!」
掃除工具を置いてジャックは叫びながら十代に近付くと、青年の切られた指先を示した。
「けがすんなっていったはずだ?!なんでけがしてるんだよ!」
「あぁ、大したことじゃないって…」
「すこしはじぶんをたいせつにしろ!」
「…………」
(へぇーこれはこれは…)
おまえがいうなとツッコみたくなったけど、十代は改めてジャックの変化を思い出す。
亡くなった両親の家に行かず、偶に抜け出すしはするが、彼はちゃんとマーサの家に戻るようになった。
ジャックは自分を傷付けなくなった。彼はもう、わかったのかもしれない。
自分を傷づけても何も生まれない。何も救えない。
両親が亡くなったことと彼を必要とする人がいるという現実を受け入れ、生きるために立ち上がった。
強くなり、誰かを守るために。
(オレの方が自分を大切にしてないかもな…)
心配そうに、下手でも指の傷にハンカチを巻こうとするジャックに十代が微笑んだ時、あるモノが視線に入り、
「…―――――」
青年は目を見開いた。
(赤き竜の、アザ)

―――――シグナー

「っ?!」
前触れもなく、大きな手に掴まれる小さな腕。
突然のことでジャックは動きを止め、顔を上げる同時に青年はもう一つの手で子供の顔を自分に向かせ、
「っ、っ…?!」
十代は愕きながらジャックを見つめた。
「…な……なんだよっ」
「――――サー、キット」
「は?」
赤くなっていくジャックが見えないよう、青年はある言葉を繰り返した。
「なぜ、……―――っ…」

今更だがやっと違和感の正体がわかった。
サーキット。
『彼ら』にとって、シグナーの存在は明らかに迷惑でしかない。寧ろ邪魔で、消したくて仕方ない存在だ。
ならば何故、
―――――シグナーであるこの子を殺しに、存在を抹消しに来ない?

過去に戻って修正することができなくても、『彼ら』なら何者かを操ればいい。子供のシグナーで、赤き竜の守りがあってもそれほど難しくないはずだ。過去や未来なら ともかく、
現実(現在)に何が起きようと赤き竜はできる限り姿を現さないし、力も五人のシグナーがなければ多くは出せない。
要するに、今が子供のシグナー達を『消す』チャンスなのに、なぜ…
壊れていく。
落ちていく。
突然の行動に子供は後ずさり、足元にあるバケツと触れ…

―――落とした音が響く。
思った以上の熱さにコップを手放してしまった。コップは割れてしまい、濃い茶色の液体が流れていく。
陶器の割れた響きにアメジストは心配そうに振り返った。
ある人物の肩が跳ねたことに気付かずに。
「いてっ」
『大丈夫?』
「あぁ…大丈夫だ。ちょっと切れただけだ」
破片を拾い上げるときに注意を怠ったためか、指先が破片に切られ、一滴の赤い雫が湧きだす。
『ちゃんと手を洗ってから傷を手当しなさい』
「わかっているよ。………――――」
傷を舐めた時だった。
何かを気付き、何かが気にかかるモノがあったように青年はゆっくりと顔を上げ、
蒼き両眸と目を合わせる。
…遊星は何故か、ヨハンを見つめていた。
「っ、ゆうせい…?」
「…………、…。」
はへん。
なにかの、はへん。
あかい、ち。
『――――  、  !』
思い出す。
目覚めていく。
逃げる人々。赤いひかりに包まれる空間。落ちた写真立て。赤い水に濡れながら自分を抱きしめる、ふたり。
『――――…!!――、――――!』
『――――!  を、…―――!』
天井が落ちてゆく。自分を男に渡す女。機械の音があって言葉が聞こえない。
でも、自分はあのおんなを知っている。
『…ゆうせいを、頼むわ』
『あなた』
女を見つめ、男は足を下げて走り出した。建物の鉄塊に挟まれた女はずっと自分の方向を見つめていた。
彼女は優しく微笑み、男から、何かの水が自分の顔に落ちた。
『―――――、―――。』
『――――、―――――――。』
赤い水が自分に落ちてくる。それでも男は自分に優しく微笑みながらちいさな空間のベッドに置く。そんな彼に、自分は手を伸ばす。
『―――生きろ、遊星』
『私達の、分まで生きろ。今は寝なさい』
濡れていない手で男は自分を撫でた。気持ちよくて、ゆっくりと目を閉じるけど…最後だけ、手は男の指を握った。
『…さよなら、遊星』
愛しているよ
握って、触れて、離れた指先。
空間が閉じられ、自分は理由もなく、ただ悲しくて、辛くて…
初めて、大きな声で泣き出した。

「……、……ぅ、…ぁ」
あの時のように。
「…―――ぁあぁあああああああ」
蒼の子供が頭を抱きながら泣き、まるで呼ばれたよう訪れた大きな衝撃がヨハンと精霊達に襲い、
「くぅ…遊星っ!」
『!ヨハン、あれを…!』
衝撃は風となり遊星の腕に集めると紅きひかりは現れ、
「!駄目だっ!ゆうせ……」
赤き竜は現れヨハンを襲った。


思いもしなかったことであった。
「――――」
兆しもなく、予感もなく、理由もなく。
すべては金髪の子供が倒れた瞬間から始まった。
「!」
力が吸い取られたように倒れるジャックを十代は支える。どうしたのかと彼を触ってみると、体温は先程より高い。
「どうしたんだ!ジャック!」
「さ…さむい…ちがっ、あつい…っ」
十代は再び彼の額に手を置いた。ふと、ジャックの腕が目に入る。まさかと思い、腕の服の部分を脱がし、
「――――!」
アザの紅い光が琥珀の瞳に映った。
(まさか、暴走?……いいや、違う)
アザの上に手を置き力を感じてみるが、暴走のような兆候はない。それどころか、何かに反応するかのように、力が鼓動している。
「ジャック!意識がはっきりしているか?!」
「…なに、いっているかぁ…きこえ、ねぇぉ……」
(まずい。すでに意識が朦朧としている)
理由はこのアザに違いないが、原因がわからない。これがわからないと、十代は止めることができない。
「く…マーサ!マーサァ!」
「?」
遠いところから青年の呼び声が聞こえ、マーサは首を傾げながらジャックの部屋に向かう。そろそろご飯の時間だと思い、マーサは部屋に入り、彼らを呼ぼうとする…
「あら、十代さん。そろそろご……っ!?ジャック、どうしたんだい?!」
のだが、子供が倒れているのを見た瞬間に考えは吹っ飛んだ。
「どうしたんだい?!ジャック!」
「マーサ!すぐに救急車でも呼んでくれ!」
部屋に入ろうとするマーサを止め、十代はコートを脱ぎながら彼女に指示を出す。
だが、マーサは固まった。
十代が彼女に話す内容により。
「…っ?!マーサ…?」
動きを止まったマーサに気づき、コートをジャックに包むと十代は顔を上げる。
迷いながら、彼女は応えた。
「サテライトには、救急車がないの」
「!」
「ゼロ・リバースのせいで…道はボロボロになったしさ、薬は高く売れるから、救急車はいつも何者かに襲われて…それで、救急車はないの」
「じゃあ病院は?!いくらなんでも、病院はあるはず…」
「いら、ねぇ……」
十代の服を掴んで、力が入れないままジャックは彼を見上げる。
熱い汗と冷たい汗は落ち、苦しそうに喘いだ。
「びょういんなんか、いらねぇ…」
「今は薬とかを怖がるときじゃねぇぞ!」
「いっても……たすけて、くれない…」
何故かジャックは微笑む。
口元を上げ、辛そうに…悲しそうに笑み、
「おれのりょうしんも、たすけてくれなか、…った………」
目は閉じられ、服を掴む手は離れていく…
「オイ、ジャック!ジャックっ!」
「ジャック!」
急いで落ちる手を掴んで耳元を胸に近づける。
まだ生きているが、この状態がつづくと命に関わってくるに違いない。
「マーサ、一番近い病院はどこだ?!サテライトでも病院はあるはずだろ!」
「あるけど、あれは今…セキュリティに監視されて、大金がないと入れさせてくれないのよ」
「……まさか、ゼロ・リバースのときも…?」
少し目を逸らしたが、女性は迷いながら青年に向き、小さく頷いた。
『おれの両親も、たすけてくれなかった』
…ジャックの言葉を思い出す。
ゼロ・リバースの事故が起きた時、ジャックは赤き竜とシグナーのアザにより助けられた。両親は助からなかったけれど…
あの時、ジャックの両親はまだ生きていたのかもしれない。
きっと目覚めた彼は助けを求めたのだろう。
だが、事故に巻き込まれた人間は彼らだけじゃない。

ゼロ・リバースで多くの命が失われ、街は混乱の状態に入り…
ジャックの声に、誰も応えはしなかった。
病院にたどり着けても助けは来ない。あの状況でも金を出さない人は助からないのだ。
残酷だ。
…子供には、残酷すぎる事実だ。

「…マーサ。ここから、病院はどれくらい離れている?」
「えっと、ここから出たらまっすぐに…」
『プゥゥゥゥ―――!』
突然の機械音で二人は外に振り返る。
はじめは何かの霧を吐き出すような音、続いてタイヤが走る音…。
エンジンとバイクのような音だ。
窓を開き、外を覗くと予想通りバイクに乗り、エンジン音を響かせる人がいた。
…数人もいるのだが。
「今日こそ、この屋敷を出てもらうぞ!」
「出ていけ!このばばぁが!」
「なんだってぇ!」
「あああおちつけよ、マーサ!」
相手の言葉に切れたのか、手近にあるテーブルやイスを投げようとするマーサに十代は慌てて彼女を止める。
このままだとイスがもったいな…じゃなくて!マーサは本気で投げつけるに違いない。
「十代さん!止めないでちょうだい!あんな奴らが、アタシをばばぁなんて呼ぶことは許さないよ!あたしはまだ若い女の子よ!」
「いやいや、先に見るべきはジャックだろ?!落ち着いてくださいよ!」
外へ飛び出そうとする彼女をなんとか部屋に留まらせる。十代はジャックを彼女に預けて改めて外の人たちを見た。
「誰ですか?あのガキども」
「ガキ…あら、十代さんと同じ年くらいじゃない?」
「オレから見ると、こいつらとマーサも子供みたいなもんだぜ」
青年の話に首を傾げるのだが、マーサは本題に戻った。
「あいつ等は、最近この地区を支配するようになったチームだよ」
「チーム?」
「ああ。サテライトの秩序が崩壊してから、泥棒やなんやらから自分の居場所を守るために子供たちが作ったのがチーム――だったんだけど…いつの間にか、普通の人に も手を出すようになってしまって…」
居場所を守るためにあった筈のチームがルールを破った。破壊し、盗み、脅迫し……この街は力こそがすべてとなった。
いわゆる、弱肉強食だ。
「何区くらいに分かれているんだ?」
「あたしもわからないわ。とりあえずここの周りもあのチームのものになったらしいね」
「ふーん。で、この屋敷から出ろ、て脅迫されているってわけ?」
「ここをチームのアジトにしたいって。まったく手のかかる奴等さ」
「ただの子供遊びさ」
興味がなさそうという口調で応え、十代は身体ごと振り返って自分の鞄を取って探し始まる。
「あ、一応確認するけどさ、マーサ」
「なんだい?」
「ここの力って、デュエルなのか?」
少ししか見なかったけど、外のバイクに乗っている人たちの腕に十代の知る物がついていた。
タイプは違うけど、あれは彼と同じ――――デュエルディスクだ。
十代の返事にまさかと思い、マーサは彼の前に立ち塞がる。
「だめだよ、十代さん!アンタまで巻き込んで…」
「病院はかなりここから離れてるんだろ?今は行く方法を考えるべきだ。それに、言っただろ?」
デュエルディスクを取り出すと、青年はコートの裏につけられているホルダーからデッキを出してディスクにセットする。
彼は口角を上げながらディスクを腕に装着する。
「あんなの、ただのガキの『オアソビ』だ」
そう、青年は嗤うと、踵を返し走り出す。開け放たれた窓―その縁に足をかけ、
「さっさと出てこい!このばば…、!」
外へ飛び出した。
「うるせぇガキだ」
一枚のカードをドローして発動すると、多くの火球が現れて地面に落ちる。砂埃が広がって視線が覆われる。
チームの人たちはなにも見えなくなった。
「ごほっ、ゴホォ…っ!ちくしょう、一体なんだ!?」
一旦バイクを止めてある青年は周りを見渡す。先ほど舞い上がった塵のせいで、砂埃と煙幕以外になにもいえない。
ふと唐突に、彼は後ろが急に重くなったと感じた。振り返ると同時に一つの声が聞こえ、
「ようっ」
「!きさ…」
鈍い音とともに意識が切られた。
「!」
はじめは複数あった仲間の気配が一つずつ消え、リーダーである青年は警戒しながらエンジンを駆けた、その時だった。
彼は別のエンジンの音を聞く。
「!まさか、」
反応した時は、すでに遅かった。
顔を見上げた瞬間に一つの影がゴミの風から飛び出した。いつの間にかバイクを奪った赤の青年はリーダーの上に跳び、
「ぐはっ!」
バイクを回してタイヤで相手をぶっ飛ばした。
「なかなかいいバイクだな。気に入ったぜ」
地面にリーダーは叩きつけられ、強い風が吹く。煙幕が払われるとリーダーはメンバーと赤の青年を見る。煙幕に包まれる間に殴られ、メンバー全員がバイクから引きず り降ろされていた。
彼らは十代をにらんだ。
「きさま…!」
「てめぇ殺してやる!」
「――――馬鹿なガキだ」
奪ったバイクから降り、十代は楽しそうに口元をあげる。
「貴様らのチームやら地区の支配などに興味ない。だが、これ以上マーサに迷惑をかけさせられないためにも―――こっちのほうが、オレの好みだ」
赤の青年はデュエルディスクを見せる。
一歩みを進み、妖しげな笑みがリーダーの青年の顔に映り、
「さぁ、かかってこい」
並ならぬ気迫に、チームは後ずさる。
「ぅっ…」
カードをドローし、琥珀の瞳がメンバーを睨みつける。
自分らの姿を映す宝石のような美しい眸なのに、強烈な威圧感を感じる。
まるで獣が狙うエモノが、喰われる前に見る瞬間のようだ。
あのとき。
あの刹那だけで、チームはある事実を知った。
自分達は、喰われるのかもしれないと。
琥珀の奥に宿る、黄金の王の目によって。
「生きて地獄に墜ちるということを、――――おしえてやろう」

お仕置きの時間だ



ネオドミノシティ治安維持局。
名前通り新たな童実野町の治安を守り、町の開発とともに生まれた存在である…が、この組織の正体は謎に包まれている。
治安維持局は多方面にその手を伸ばしている。警察、セキュリティ、病院、学校、研究……ネオドミノシティに関するすべての建物は彼らに監視されている。
情報や、「犯罪者」を逃がさないために。

『俺はあいつのモノで、アイツは俺のモノだ』
ガラスの壁を通して外の風景を見つめながら、白き髪の男性はひとりの青年の言葉を思い出す。
あの日。
数年前のあの日に青の青年、ヨハン・アンデルセンを呼び、彼に不動博士の息子を預けた。あっという間に三年の時間が経過したが、彼はまだ「三人目の神の代行者」・ シグナーを見つけていない。
アザの情報が、ないのだ。
彼が知っている一人目のシグナーは生まれた頃からアザと共に誕生したのだが、ヨハンに預けた二人目のシグナーは違った。
不動 遊星の身体には、竜のアザがない。
もしゼロ・リバースの事故で、遊星が一年間もの間カプセルの中で生き残れていなかったら、彼も気づかなかっただろう。
彼が尊敬し、彼に希望のカードを預けた不動 博士。その一人息子が、シグナーの一人だと。
彼でさえ、予想することができなかった。
「……………」
二枚のカードを持ち上げ、白髪の青年は見つめながら目を細める。
「あと、三人」
カードは二枚しかないのだが、残りの三人のシグナーを見つければならない。
不動 博士と、一人目のシグナー―――――兄との約束の、ために。

これからどう動こうかと考えている時、モニターにある通信が入った。
彼の秘書だ。
「どうかしましたかね?」
「突然の通信、失礼します、ゴドウィン長官」
頭を下げ、秘書・イェーガーは応える。
「先ほど、セキュリティの監視からの連絡がありました。三年前、万丈目グループの通行証を使ったIDの記録が再び更新された、とのことです」
「三年前…貴方が逃がした事件のことですかね」
「も、申し訳ございません!」
ゴドウィンの睨みに思わずイェーガーが方を竦める。彼の下に働くようになり数年も経ったが、やはり怖いと思う時がある。
「つづきを」
「は、はい。通行証が使われた場所は、サテライトの病院のようです」
「映像はありますか?」
「原因不明の故障で隠しカメラそのものは壊れましたが、映像は少しだけ残っています。こちらを」
モニターに別のウィンドウが現れ、遠いところから建物、病院、人々を写し始める。
セキュリティに囲まれた病院の入り口に一人の青年がバイクを止めた。コートで覆われた子供のような者を抱き上げ、黒服の青年はゆっくりと病院に向かう。
コートのせいで子供の姿が見えない。少しカメラが近づこうとしたその時、青年は顔をあげ、
青年と目線を合わせた瞬間、画面は暗転し、消え去った。

「下がりなさい!重症者であろうと、ここは不審者を通せません!」
再び視線を戻して近づこうとする青年にセキュリティの警察が呼びとめる。相手の言葉に十代は思わず口元をあげた。笑うしかない。
(不審者。…だれがだよ)
あの人から離れて何年が経ったけど、思わず実感する。
世界は、彼の予想以上に変わっている。
破滅へと向かう方向で。
「…この子を治療させろ。オ…私は万丈目グループの開発室室長・万丈目 準様の秘書です。開発部の出張でうちの子供が原因不明の高熱を出したので、治療をお願いし たい。これが通行証です」
ポケットに入ったカードをセキュリティに投げ、警戒しながら警察は通行証を読み込み始める。
カードは本物で、写真もきちんと目の前の青年を映っているのだが、どう考えてもおかしすぎる。
「万丈目グループに勤めるお方が何故、後ろのようなバイクを乗っているのです!開発室室長の秘書ならなおさら…」
「この出張は偵察ためです。サテライトできちんとした服装していると、いらぬ騒動を呼ぶだけですから。バイクはより早く動くためです。ここにくる途中、何度も襲わ れそうになるりました。」
「く…」
「そろそろ退いてもらえる?それともお前達まで原因不明の熱で倒れたいのか?」
「っ…仕方ない。こいつを通そう」
「!しかし…」
「あのカードは本物だ、やむを得ない。とりあえず長官に連絡しろ。こいつの調査もだ」
「は、はっ!」
セキュリティが道を譲り、青年はチラと壊れたカメラや後ろの道を覗くと、子供を抱きながら中に入る。
うしろの街には、壊れたカメラの破片や倒れた其々チームのメンバー達の姿があった。

「……あの方が病院につくまでの映像はまだ残っていますか?」
「は、はい。もちろんありますが…すべては、途中から切れているようで…」
「構いません。映像を」
「…はい」
病院のウィンドウが消え、代わりに数個のウィンドウが現れる。
其々の角度から街の風景が見える。だが、次の瞬間に起きたことは彼らの予想以上であった。
崩れた建物や道しかない地面の上に一つの影が空から現れ、恐ろしいスピードで走りながらひかりを出現させる。
影の正体はすぐバイクだとわかったが、その上に乗っていたのは一人の青年と子供である。彼の後ろを多くのバイクが追いかけていた。
そこでだ。
青年は運転しながら腕のディスクからカードをドローし、発動するとひかりが実体を伴い、後ろのバイクを襲う。
ウィンドウに写る、それぞれ時間のバイクは同じタイミングで倒された。
カメラが青年を近づこうとすると、逆に青年と目が合い切れる。
すべての映像が途切れた。
「――――バイクに乗りながら、デュエルをしていましたね」
「し、信じられません…」
確かに、このシティではデュエルは重要な力だと考えられている。火山の上、飛行船、電車の上…など、デュエルは場所を選ばないモノだが、未だに運転しながらデュエ ルした実例はない。
ましてや、バイクを運転しながらとは…
「…もう一度」
「は、はい?」
ハッとイェーガーは思考から我に返る。明らかに長官の言葉を聞いていないためか、ゴドウィンは再び繰り返した。
「もう一度、あの青年のアップを」
「!わ…わかりました!」
他のウィンドウを閉じ、代わりに一つのウィンドウを出す。
映像を倍速で戻し、ある瞬間にたどり着くと再生して停止させる。
青年・十代がモンスターに攻撃を命じる刹那であった。
『俺はアイツのモノで、アイツは俺のモノだ』
再びある青年の言葉を思い出す。
…何かを見つけたように。
何か嬉しいことがあったように。
白き男性はゆっくりと目を見開き、…――――
(…兄さん)
闇を、みつけました


「――――あぶねぇー」
口元を上げて青は衝撃を防ぐ腕を下がる。風により傷けられた顔のキズを拭き、ヨハンは怪我の血を舐めながら目の前の景色を見つめる。
「もう少しで家がボロボロになるところだったぜ」
怯える蒼の子供を護る赤き焔の竜は、七つ色のひかりの柱に囲まれた。
精神のショックにより子供・遊星はすべてを拒み、無意識に赤き竜の力を表わした。赤き竜もシグナーの意志に応え、周りにいる全てのモノを排除しようとヨハンに襲っ た。
間一髪、ヨハンは先ほど切られた指先の血を地面に振り、風が彼に届く刹那に血がひかりとなって風の衝撃を防ぐ。
『――――宝玉獣!』
この一瞬で七枚のカードを赤き竜に投げ、呼ばれたカード達は、七つ色のひかりの柱となり、赤き竜と遊星を囲んだ。
もし遅れてしまったら、この家は吹き飛ばされるかもしれない。
ヨハンはそれだけは避けたかった。
『ゴォオオ―――っ!』
「怒ってる、怒ってる」
身体に付いたゴミを払いながらヨハンは苦笑する。事情は事情で仕方ないけど、赤き竜を見ると口元は自然に緩まる。
あの人の面影が、あるからだ。
『今は冗談を言っている場合じゃないでしょう?ヨハン』
ひかりの柱から姿を表わし、アメジストはヨハンに溜め息をついた。
『早くなんとかして頂戴。久しぶりだから、疲れるわ』
『ワシももうおじいちゃんじゃからの…』
「わりぃ。今からなんとかする」
(…とは言ってもな…)
適当に応えてみたものの、ヨハンもこれからどうすべきか考えているところだ。
赤き竜の存在は知っていても、あの人のように自由に扱えるわけじゃないし、無理に制御しようとすると赤き竜と遊星に負担が掛かるかもしれない。
今の彼ができることは遊星の力…アザや赤き竜の力を暴走させず、主を喰い破らないようにすることだけだ。
…………。
(……。アイツ、何故この子を俺に預けたんだ?)
ゴドウィンの話によると、彼に遊星を預ける理由は力を制御する…子供時期の遊星の力を安定させるためだ。
子供の感情は大人より単純で豊かだ。怒る時は怒る。悲しむ時は悲しむ。あまりにもまっすぐな感情と共に力は引き出され、主の想を容易く越えてしまう。
子供を守るために彼が預かることはおかしくないけど、何故か気になる。
何故、ゴドウィンは自らの手で育てない?
昔はともかく、今の技術なら力を抑える機械はできているだろうし、ゴドウィンがシグナーを利用したければ、子供頃から側に置く方がいいのでは…
しかも相手は普通の人ではない。…ネオドミノシティの治安維持局長官・ゴドウィンだ。
力を抑える機械や技術がない筈がない。
「………。」
ふと何かを思い付けたように、ヨハンは静かに顔をあげる。
自分を睨む赤色の炎の目を見つめ、彼は小さな声で呟いた。
「できない…したくてもできない。見られ…、…―――狙われているか」
赤き竜は応えていない。
人間の言葉もなく、表情もなく、動きもない。でも、ヨハンは感じて、見えた。
血のような赤き焔に創られる、眸の奥にいる揺れと感情を。
(なるほど。これが正解か)
なんとなく話が見えてきた。
シグナーの子供を側に置きたいけど、ゴドウィンは何かの理由でできないため、子供を他人に預けた。
彼自身も狙われているからだ。
監視されているせいで行動できず、彼もきっと色々と考えてきたに違いない。
自分では引き取れないし、何も知らない他人に渡す訳にもいかない。
要するに誰にも見つからず、子供を『悪』…『闇』に落とさず、彼の力を受け入れて抑えることをできる者が必要だ。
…だから、だろう。
この時代から『消え去った』のヨハン・アンデルセンと遊城 十代に目を付けたのだ。
多分、彼らはヨハンよりあの人を求めていたと青年は思うが…
(……ん?)
そろそろ目の前の状況をなんとかしようと考えた時、再び視線を感じてヨハンが顔を上げると、
…蒼の子供は恐れながらも彼を見つめていた。
(俺を見ている…?)
遊星の目を見つめながらヨハンは首を傾げる。ふと彼の視線は自分の顔や腕に止まっていると気付き、ヨハンはわかったように優しく微笑んだ。
「大丈夫だ」
一瞬だけ肩を跳ねる子供。やはりと確信し、ヨハンは続けた。
「たいした怪我じゃないし、すぐに治る。大丈夫だ」
「…、………」
多くの反応はないが、確かに遊星の目はヨハンを、ヨハンのキズを見ている。
試しに一歩を近づいてみると、赤き竜は動いていない。
…警戒は弛んでいだ。
「俺は、こんなことで消えたりはしない」
少しずつ。
「今も、お前の前にいるだろ?だから、大丈夫だ」
少しずつ。
焦らずに、慌てずに、優しく、でもきちんと足元を地面につくように歩く、近づく。
手を伸ばせばひかりの柱に触れるところに止まり、青の青年は手を伸ばす。
「俺はヨハンだ。お前は?」
青の青年は、蒼の子供に手を伸ばした。
「……、… 、 」
ゆっくりと。
ゆっくりと。
言葉を出さず、声も出さず、静かに、でも怖くないように腕を上げ、手を伸ばし、
二つの手が触れ、七つ色のひかりの柱は赤き竜と共に消えていく。

―――――ゆう、せい
ぼくは、ゆうせい。

小さな応えは青年の耳元に届き、子供は静かに目を閉じてゆく。
あたたかな腕の中で、ゆっくりと夢の眠りはじめた。

(…危なかったー)
遊星が眠りに入ったことがわかり、思わずほっとしたように肩を緩める。
過ぎたこととはいえ、先程のことを思い出すだけでヨハンは寒気がする。
もし。
もしあの状態が続いたなら、彼は赤き竜の力を収めることができなかったかもしれない。
自分の力が足りない訳じゃない。逆だ。
彼の体内には大きな『力』があるけど、あまりにも大きいため…彼はできるだけ使わないことにしている。
シグナーや赤き竜の力を抑える『力』は思ったより使うせいか、身体と精神が疲れやすい。
…自分は、『限界』を越えてはいけないのに。
片目を撫で、ヨハンは目を細める。
あの人を待ち続けるためにも、『負ける』訳にはいかないのだ。
「…宝玉獣のみんな」
再びカードの精霊達を呼んだ。かれらもヨハンの呼びかけに応えてひかりと共に姿を現す。
アメジストやトパーズに遊星を預ける。そして、立ち上がったヨハンにペガサスは口を開いた。
『行くのか、ヨハン』
「……あぁ。遊星は頼む」
服を着替え、手袋を着けて腰ケースのデッキをテーブルに置き、二枚のカードをデッキから取り出す。
一枚を腰ケースに戻し、別の部屋のクローゼットを開けてマフラーを取り出すと、布に包まれたモノをベルトにつけた。
『ヨハン。我々はあなたを止めるつもりはないが、…力を、』
「『できるだけ力を使うな』、だろ?」
宝玉獣に笑顔を咲き、青年は笑いながらコートを取る。
「大丈夫。今回はちょっと『コレ』に貸してもらうし、すぐに戻る」
ここを出たら、アイツが帰れる場所が無くなる
「じゃあ、行ってくるぜ」
『えぇ。気をつけて』
『早く戻ってくるんじゃぞ』
手に持つ一枚のカードで別れの挨拶をし、青年は目を閉じ、
そして目覚める。
「――――さぁ、行くぜ!スターダスト・ドラゴン」

ネオドミノシティの治安維持局へ!



「―――――はい、わかりました」
ある通信を切り、イェーガーは監視室から離れて長官室に向かう。『失礼します』と頭を下げ、自動扉が開く。
身体を動かさず、ガラスを通して外のシティを見つめる長官にイェーガーはゆっくりと、間違いないように口を開いた。
「先ほど、サテライトの病院からある通信が入りました。――――…」
一つ、ひとつずつはっきりと言葉を伝えてゆく。
やがて耳は傾き、白き髪の男性は静かに口元を上げ、
まるで裂けたような笑みを曝け出した。

血のような紅き灯りが消え、扉が開かれと赤の青年はイスから立ち上がって運び出されてくるベッドに近づく。
眠る金の子供・ジャックが琥珀の眸に映った。
「心配ありません」
医師は扉から出て、子供を見る十代に話を掛けた。
「始めは高熱のため身体が少し危険な状態でしたが、熱は突然下がったので今は命に別状はないでしょう。御子さんですか?」
「はい」
「念のため、今夜は入院したほうがいいですね。手続きをお願いできるでしょうか?」
「住民票のようなモノなら残念ですけど…先ほど、ここに来る途中で襲われたので、落としてしまったようです。通行証と子供を護ることで精一杯でした」
通行証がなければシティに帰れませんからね、と十代は肩をあげながら苦笑する。…裏で舌打ちはしたけど。
「ではできるだけ早く入院する手続きをお願いします。この御方に案内を」
「はい。では十代様、こちらです」
医師の言葉に一人の看護婦が表れ、別の廊下へ続く道を案内する。
チラリとジャックを覗く十代に、医師は微笑んだ。
「ご安心ください。サテライトでも、ここはセキュリティに守られています。御子さんは誰にも傷付けさせません」
「…わかりました。ではお願いします」
医師に頷き、十代は看護婦と共に廊下を進んでいく。
青年の姿が遠くなると、二人の男が医師に声を掛ける。青年は耳を傾けた。
相手の言葉に惑いながら子供のベッドを動かし、医師と男達はまた別の廊下に向かった。

――――では、お迎えを
者は一つの注射を取り出し、曲り道で心配そうに子供の方を覗く十代の体に…
視界は暗転し、廊下から青年と子供の姿は消えいていた。


…始めに目を閉じて、再び眸を開く。
輝くひかる星の夜空。果てのない黒き風景に、それぞれの命が誕生し、亡くなり、その一瞬の時間が流れ星となって闇へ姿を消す。
今も、この『瞬間』も、その一生の跡は輝いていた。
人工的な灯りに包まれる町の空に。
「…あぅーあれー」
ひとりの子供は空を指しながら隣の女性に声をかける。
「ママ、そらがちかづいているよー」
始めに小さな星とひかり。やがて光は大きくなり、星と共に近づいていく。
ゆっくりとひかりが二つのツバサを開き、龍の星影は大きな紅き眸に映っていた。
「ママーほし――」
「アキ、もう遅いから眠りなさい」
「…ぅうー」
顔を膨らませて窓の外を覗いていると、ふと子供・アキは気づく。
空は、雲に包まれて星が見えない景色になった。

跳びこんで地面に足をつけさせる。
手にあるカードを腰ケースに戻し、青年は天井の扉に近づく。
(ふーん。上でもオートロックがかかってるのか)
流石にシティで二番目高さの建物である。そう簡単に扉が開くはずがない…と呟く青年は別のケースから布に包まれたモノを取り出す。
(…いや、まだ早いか。ここは少し目立たない方法で…)
コートの裏ポケットに入れ、手袋をつけた手を扉の上に置く。
しばらくすると弱い電流が機械に走り、『ピッ』と音が響いてオートロックは解除される。
ヨハンは口元を上げ、扉を開けて階段の奥に跳び込んだ。


「ゴドウィン長官」
モニターに振り返り、ゴドウィンは映像に写る秘書のイェーガーを見る。
「例の者達は連れてきました。」
「こちらにお連れなさい」
「は……しかし、彼らはまだ目覚めていませんが…」
「目覚めました後の彼を、連れ来れる自信はあるのですか?」
「うっ!す、すぐにお連れします!」
慌てて映像を切るイェーガー。相変わらずのことで溜め息をつき、彼が再び視線を夜のシティに戻そうとした時、ガラスがいきなり漆黒に覆われる。
これから起きることがわかり、ゴドウィンは再びモニターを振り返る。
ひかりのない部屋に、一人の影が口元を上げながらモニターに映っていた。
「…どうかなさいましたか」
〔ふたりが、ここに来ている〕
「えぇ。私がここへ連れてき…」
〔ゴドウィン〕
影の色のため相手の顔が見えない。でもその口と笑顔ははっきりと映り、嘲笑するようにゴドウィンに向けられている。
影は続けた。
〔我々の計画のために、シグナーの力は必要だが…面倒な者を起こしてはいけない〕
「…と、申しますと?」
相手の言葉にゴドウィンは眉根を寄せた。
〔赤き竜の力はシグナー達のアザの中に眠っている。シグナーの誕生は我々がサーキットで予知しようとしても分からないモノだ。我々は一刻も早く赤き竜の力を完全に 目覚めさせなければならない。〕
「わかっております」
〔そのために、不動 博士の息子…シグナーである不動 遊星を『ある者』に預けたのだが…『あの者達』を、決して怒らせてはならない〕
『あの者達』。
ひとりではなく、ひとり以上の人数に目を開き、ゴドウィンが言葉を口に表する瞬間、
爆発の音と共に建物が大きく揺れた。
「!」
突然の爆発でガラスが吹っ飛ばされ、破片が建物の外に落ちる。下にいる人々は悲鳴を上げながら逃げていく。
衝撃によりモニターの通信は切られ、電話も使えなくなった。

「おっとぉ、と…っ!」
いきなりの揺れに階段の柵を握り、身体を回して階段の上に戻る。爆発が起こったようだが、どうやらここには影響がなかったらしい。
「俺以外に侵入したヤツが居るのか。俺はまだ何もしていないけどな…」
やるつもりではあるけど、とヨハンは少しマフラーを外して下を覗いてみる。下層の防火扉の向こうから少しだけ煙が漏れている。多分、あそこだろうとヨハンは思うの だが…
ふと、眉を寄せた。
(………なんだ?あれは)
煙が漏らす階層とその周りに回る階段。他のところには何も感じないのに、あの防火扉の前…円のように回る階段の中央に、あとが見える。
空中に、キズのような痕が見えたのだ。
「………空間の隙間、か」
(もしかして…)
少し考え込み、ヨハンはコートの裏ポケットから布に包まれているモノを取り出す。布を外して中のモノを見ると、ヨハンは思わず苦笑する。
これだけは、まだ使う予定ではなかったはずなのに。
「……わりぃな。斎王、ユベル」
(俺は、この『真実』を知らなければいけないんだ)
(そのためには…)
漆黒に染まった小刀。
柄を握り、ヨハンは痕の方向に小刀を下げ、
痕は穴となり広がっていった。

『火災発生!火災発生!消火システムを作動させます』
異常な温度と爆発がスプリンクラーを作動させ、消火用の水が雨の様にその場に降り注ぐ。
ゴドウィンは天井を見上げた。
「………。」
ふと、何かに気付いたようにゴドウィンは入り口の扉を見つめる。
…何かがいる。
少しだが、何かの足音が聞こえる。
水の上にゆっくりと波紋を作り出していく。
彼の方向に、向かって。
ボタンを押して自動扉を開き、煙と水の中に二つの影が通路に現れる。
ひとりの大人と、ひとりの子供…と思っていたのだが、次の刹那に考えは頭から消えた。
子供の影はまるでゴムのように曲がり、伸び、やがて溶けたように地面に消えて、影は黒き豹となって現れる。
消火用の水により煙が払われ、もうひとりの大人は歩を進め、
長官室にたどり着いた。
「―――――」
が、相手の姿にゴドウィンは目を見開く。
……理由も、なく。
「オレを、」
相手の表情を見て青年は思わず笑いたくなる。彼は続けた。
「ここに招待したのは、おまえだろ?ならば、」
――――何故愕いたような顔をする?

「―――繋ぎが切られたか」
消えた映像は戻らず、者は白きマントから腕を上げ、消えた映像の空を撫でる。
どうなろうと知らないが、外で何かがあったに違いない。
「何度も言ったはずだ」
『あの者達』を決して動かしてはいけないと。
怒らせてはならないと。
「愚かな人間だ」
「それは、」
兆しもなく。
瞬間もなく。
反応できず、動かす前に一つの声は耳元に届き、白き空間に響く同時、小刀に指された頸。
「『人間』の姿をするてめぇも、同じってことか」
表情を変えずに振り返る。
小刀の刃を沿って指、手、腕、深青のコートを映しながら青髪にたどり着く。
まるで予想できていたかのように、者は緩やかに口を開けた。
「これは驚きました。あのような派手なことを、『貴方』がなさいましたか」
「動くな」
「…動いたら、どうなのです?」
「ころす」
「……それは、…―――楽しみです!」
もう一つの手でマントの裏に隠された剣を抜き、小刀の先が首に届く前にすれ違い、切られた布の下に者は口元をあげ、
剣は青の青年に襲う…

一歩ずつを進む赤の青年にゴドウィンは目を開く。
確かに、青年の言う通りだ。彼は何に愕いている。
一緒にいる筈の子供はカードの精霊が作り出したまやかしであることに愕いたのか。
眠っていたはずの青年が起きていたことに愕いたのか。
この爆発を起こした彼らに愕いたのか。
それとも、『彼ら』が言っていた『あの者達』の言葉に愕いたのか。

…否。
すべても違う。
彼はこのようなくだらない理由で愕いたのではない。目の前の、この青年の姿だ。
雨や嵐があろうとまっすぐに大地と命を見つめる、宝石琥珀の両眸。
血のように赤く、絹のように細く、水を流す、紅茶色と混ぜ合う髪糸。
そして、少年のように、子供のように感じると同時に大人のような残酷さを知る、口元の笑顔。

彼は知っている。
昔の資料の中に見ていたのと同じであった。
目の前の者は…
「――――まるで『昔』の映像が再生されたようですね」
「………。」
懐かしく思い出すよう、ゴドウィンは目を閉じながら口を開き、十代はただ表情もなく相手を見た。
…そうだ。
何も変わっていない。
目の前の者はなに一つかわっていない。
姿も、顔も、表情も、すべて。
「――――初代・武藤 遊戯に択ばれて大会に優勝し、その栄光を捨てたデュエリスト」
すべての栄誉と祝福を手に入れた同時にすべてを捨てた、あの瞬間と。

「はじめまして。私は治安維持局長官、レクス・ゴドウィン。お会いできて光栄です。『正しき闇』…いいえ。」

デュエルキング・遊城 十代様


「―――…こんなもので、」
何かに引かれた音が耳元に襲い、いつの間にか弾き飛ばされた剣は者の後ろに落として消えた。小刀はまっすぐと者を指している。
青年は思わずクスと笑った。
「俺をころせるとでも?」
目の前の小刀を睨みながら、者は眉間を寄せた。
(…速い)
彼はこの人を斬ろうとしたはずだ。だが、いつの間に?あの瞬間に起きたことがわからない。剣の先が相手に届いたと思ったと同時に、弾かれた音がして剣は彼の手から 消えた。
そして飛ばされた剣は、白き空間から消えさった。
本気で相手を殺すつもりはない。だが、今さら実感する。
流石で、残念だ。
「本当に、残念です」
切られた頭の布部分を外し、者は顔を現わす。青年の心臓は、目の前の者の顔を見て大きく跳ねた。
見てはいけないモノを見たように。
(…こ、いつは)
「『貴方』が愚かな『人間達』の味方にするとは、誠に残念です」
「……何の話だ」
「『貴方』も私の顔を見て、思い出すのでしょう?…いいえ、知らされる、とでもいうべきでしょうか」
片目を撫でながら彼を睨む青年に、者は口元を上げた。
「我々『イリアステル』に力を与え、我々に『愚かな生命を歴史から消せ』と命じられた『光』ではありませんか?」
『破滅の光』と呼ばれる『正しき光の器』
ヨハン





―――…ゆらゆらと揺れる感覚に、ゆっくりと目を覚ます。
(…ふぅ、よくねた…、……)
寝ぼけ眼で周りを見渡し、ふと知らない男の背中が目に入る。ハッと一気に起きて、
「ぐはっ!」
「だれだ、きさまはー!」
男を蹴り飛ばし、子供が地面に立つと同時に男は倒れた。
「どこだ、ここは…!」
はっきりしない頭を左右に振り返り、子供・ジャックは周りの景色を見渡すが、どこも自分が知る場所じゃない。
(おれに何があった…確かマーサの家で熱で倒れて、…それからなにがあった?)
自分の身を確認すると、倒れる前と同じ服を着てはいるが、その上には十代のコートが着せてある。…あれから何があったんだ?
とりあえず早く逃げないと…とジャックはチラリと倒れた男を見やり、じりじりと後ずさり逃げようとした、そのときだった。
「!ジャック!」
…懐かしい声が耳に届く。
まさかと思い振り返ると、慌てて彼に駆け寄る大人の姿が目に映る。
マーサだ。
「マーサ!はやくにげ、」
「ジャック!アンタ、恩人に何をするのだ?!」
「………は?!」
思わず頭を抱えたくなる。今、彼女は何と言った?
おんじん?おんじん…つまり?
走ってくるマーサの言葉に反応できず、ジャックは呆然とする。それに構わず、マーサはまっすぐに倒れた男の具合を見る。
幸い、頭を少し打っただけのようだ。
「まってよ、マーサ!おんじんって、なんのことだ?」
「アンタ、覚えてないのかい?」
ジャックの言葉にマーサは思わずため息をつく。仕方ないと思い、彼女は伝えた。
「この人はね、十代さんの頼みでアンタを変な奴等から助けて逃がしてくれたのよ!」

――――最初から、あれはニセモノだったのですね
火事の鎮火を認識し、システムは水の散布をやめる。すっかり濡れてしまった髪を拭い、十代はゴドウィンを睨む。気にも留めず、ゴドウィンはチラとその隣の黒き豹の 精霊をみる。そしてクスリと笑った。
「…いいえ。恐らく、最初はニセモノではなかった」
報告のことを思い出す。
他人のバイクを盗み、コートで子供を包んで運転し、病院に向かう。その間に襲ってくる若者や泥棒達を運転しながらデュエルで相手をする。そして、ソリッドビジョン だったはずの衝撃を実体化させて彼らを倒した。

…やみ。
全ての生命の誕生のはじまり。宇宙の母である・闇。
闇は宇宙に命を与え、すべてのモノに優しい始まりの闇を与えた。
生命や宇宙は、闇を『正しき闇』と名付け、優しい『世界』を滅ぼそうとする光を、『破滅の光』と名付けた。
そして目の前に、その素晴らしき存在がいる。
時空と異次元の歪み、時空や異次元を自由に使い行き来できる通路をあらゆる方法で封印し、誰にも使わせないようにその『道』に命を与え、『赤き竜』を創り出した 者。
それはすでに、神や伝説などではない。
神を越える存在…――――創造者と、呼ぶべきモノなのかもしれない。

遊城 十代。
彼の肉体は、『正しき闇』が作り出した唯一の『器』の繋ぎであり、魂はたったひとりの『正しき闇』の意志を持つ者であった。

「あなたが最初からこちらへいらっしゃるつもりでしたら、あのような派手なことはしないはずです」
最初から治安維持局に来るつもりなら、彼はきっと誰にも気づかれずに来ることができる。
誰かの目にも留まらず、誰も傷つけられず、…まっすぐに治安維持局まで来るはずだ。
彼は人の目に触れることを極端に忌避する。治安維持局はかつて、何度も彼の情報を掴もうとしたが、彼はいつも誰にも気づかれずに逃げ出した。彼に関する資料や情報 を収集することすら、世界中の企業は禁止されている。
もし彼とヨハン・アンデルセンの養子が事故で記憶が戻らなかったら、治安維持局はいまだ彼の情報を掴めていなかったかもしれない。

そのせいか。
遊城 十代は、何かを助けたいのだとゴドウィンは直感した。
何かを助けたくて、他人のバイクを盗んで子供を病院まで運んだ。
子供の顔を見せなかった事から、ゴドウィンはある結論を出した。
あの子の存在を、治安維持局に気付かれたくないと。
「あちらのモンスターは、N・ブラックパンサーですね」
「だから?」
「そのモンスターは一度だけ、他のモンスターの能力を複製し、その姿を得ることができる。カードの効果ですが、まさかこれを実体化して使うとは…本当に、思いもし ませんでしたよ」
「オレは貴様の考えを聞くために来たんじゃない。―――言え」
「?!」
一歩、踏み出す。
たったそれだけの動きだったはずなのだが、首の後ろに冷たい気配を感じた。瞬間、ゴドウィンは片手を上げ、
小刀の先は皮膚ではなく、機械の手のひらに届いた。
(…速い)
あと一瞬を遅れたら、小刀は彼の首を切り裂いたに違いない。
…殺気が、感じられなかったが。
「レクス・ゴドウィン。『イリアステル』の命令を実行するおまえは何故、シグナーの命を奪おうとしない」
「………。」
「イリアステルの目的は破滅の未来を救うためなら、赤き竜は彼らの邪魔でしかない。そこがわからない。」
「…なにが、ですか?」
「サーキットが実行できなくても、子供をころすなんてアイツらには簡単な話だ。赤き竜の力はまだ完全に目覚めてはいない。今ならチャンスだとオレは思っている。」
「そうですね」
「だが、おまえから違うモノを感じる」
セキュリティに包まれたサテライトの病院。始めは警備のためかと思ったのだが、よく考えるとこれは明らかにおかしい。
十代は以前、一度だけシティの病院に行ったことがある。シティの病院は監視されていないし、何かがなければ情報は簡単に調べられない。
サテライトの病院も一ヶ所だけじゃない。少し遠いが、他のところにもある。しかし、そこの病院はセキュリティに監視されていない。
ジャックが暮らしているところに近い病院だけが、監視されていたのだ。
「オレが病院へ連れてきた子供はシグナーと思っているように見えるけど、…おまえ」
一滴の汗は頬に沿って降り、十代はまつげを寄せながら口元を上げた。
「最初から、あの子がシグナーであることを、知っていたな」

――――あの子、ジャック・アトラスはシグナーであることを



…光。
全ての生命に成長を与え、『進化』を生みだす父・光。
闇があれば光がある。かつて、光は闇と共に宇宙をつくり、生命の誕生と進化を見届けていた。
二つで一つだったこの存在は、あるきっかけで分かれてしまった。
進化の果てには破滅しかない。繰り返し、繰り返し、繰り返して…光の進化は、どう進もうとも、命と共に破滅の未来に行きつく。
命には、与えられた『時間』というモノがあるが、光は望む進化が時代と共に続けられると思い、『進化』を続けて見守っていた。
進化を壊す原因に、気づくまでは。

――――一部の生命が宇宙の進化を壊し続けている

ある時期、光はそのことを発見した。闇が生み出した一部の生命が強大な意志を持ち、進化全体のバランスを壊している。光はその一部の生命を『要らないモノ』だと考 え、消そうとした。だが、闇はその一部の生命も『必要なモノ』だと考えていた。
その一部の生命がいると、進化を続けることができない。
二つで一つだったはずの存在は少しずつ其々の意志を持ち、やがて光は『愚かな生命を歴史から消す』と言いはじめ、闇は光を止めるために戦い始める。
一部の生命は自らを消そうとする光を『破滅の光』と悪役にし、闇を『正しき闇』と正義の存在にした。
…だが。
その一部の生命の世界では、光こそ正義だと考え、闇を恐れていた。そのことで『破滅の光』は少しずつだが力を得る事が出来るのだと、…『人間』はまだ気づいていな い。
自分達が、自らの考えの下で、己の未来を破滅へと至らしめていることを。


「『貴方』は正しかったのですよ、ヨハン様」
相手は自分を殺す気がないと感じ、者は小刀の先を自分の方向から離し、口元をあげながら話を続ける。
「あの一部の生命のせいで未来は滅びに向かっています。決め事を破り、運命を守らずに破壊する生命は、この星の命をも奪おうとしているのです。『貴方』もご覧に なったはずではありませんか?」
武器を作り、文明を作り、進化を止め、…あの一部の生命はこの世界に何をした?
機械の発展は自然を削り、流行で動物をころし、趣味のためにルールを破り、…あの一部の生命はただ自分たちが生き残ればそれでいいと考えている。
アイツらはわかっていない。
世界はアイツらのモノではない。世界はすべての生命のものだとわからず、世界を壊し、削り、自らの手で破滅に向かっていることすら、わかっていない。
『この人』も見てきたはずだ。
長い旅をつづけ、この時代までたどり着いた『この人』は知っていたはずだ。
「……確かに、『光』はお前達に力を与えた。…『愚かな生命を消し、正しき歴史を守る』ための、…次元と時空を越える力を」
「そのとおりです」
「だが、俺はもうしない」
「…なに?」
拳を握り、指に嵌めた指輪を撫で、ヨハンは者を見つめた。
「俺はもう、『破滅の光』の言葉を聞かない。俺は『人間』としてここで生きる」
「――――………本気で、」
者はしばし沈黙する。そして、ゆっくりと口を開き、問う。
「このような汚い世界を認めるつもりなのですか?ヨハン様。肉体は『光』が作り出した唯一の『器』であり、魂はたったひとりの『光』の意志を持つ者・貴方が」
「わかっていないのは、お前達だ」
「?」
「『破滅の光』の目的は、一部の生命…『人間』だけじゃ、ない」
(あの目的は、すべての生命を破滅に導くまでだ)
再び小刀を者に指し、ヨハンは睨んだ。
「応えてもらおうか?同じ力を持つ赤き竜を使って、何をするつもりだ」
「それは、お答えできませ、」
者が応えようとするが、続きは前触れもなく遮られる。
「何故シグナーである子供を俺に預けた?」
「…―――っ?」
青の、一つの疑問によって。
「何故自分達の手ではなく、俺に不動 遊星を預けたんだ?」
「―――――」
青年の言葉に、者はまるで今、その事実を知ったようにゆっくりと目を見開く。ヨハンはその様子に眉を寄せた。
知らないはずがない。
もしイリアステルが赤き竜の力を利用しようとするのならば、簡単に他人に預けるはずがない。力を喜んでイリアステルの為に使うように教育する為にも、側に置くべき なのだ…
『側に置きたくてもできない。…狙われているから、か』
ハッと前に考えていたことを思い出す。
ゴドウィンがヨハンに遊星を預ける理由は何かに狙われているからだと思っていた。それを狙うモノはゴドウィンを監視する者と考えていたが、治安維持局に侵入しこの 空間を見つけて、考えは変わった。
ゴドウィンは、イリアステルの命令を遂行しているだけだ。
イリアステルにとって赤き竜は邪魔にしかならない存在。…が、彼らがシグナーたちを殺されずにいることを知れば、その力を利用しようとするに違いない。
その考えだと、彼らを邪魔する者はただひとり―――赤き竜だ。
確かにこの答えなら納得はできるけど、再び違和感を感じてしまう。
赤き竜は邪魔な存在。シグナーの力を使おうとすれば、赤き竜に関する者に預けるだろうか?…自分達の目が見えるところではなく、計画を邪魔するかもしれない者に預 けるのだろうか?
先ほど思い出した考えと、イリアステルの反応。
…なぜか、すべては繋がっていた。
ゴドウィンは確かに何かに監視されていた。でもそれは、赤き竜ではない。逆だ。
――――イリアステルの監視から逃げるため、シグナーの子供を赤き竜に関する者に頼んだ。
シグナーを、利用させないために。

話の流れが正しくても、ゴドウィンがそうする理由が見つからない。
「…なるほど、な」
思わずクスと笑う青年に者は不満そうに彼を睨む。
「何がおかしい?」
「いや、俺も騙されたなって。…でも、」
一部のマフラーを首から外し、ヨハンは嬉しそうに腰のケースから一枚のカードを取り出し、
「おかげで、俺は少しでも自分がやるべきことがわかった!」
「!逃がさん…!」
者も手を上げると七色の光が集まり、先ほど落とされた剣が現れる。青のカードが実体化する瞬間、者は剣を刺し…、
真紅の液体は花のように飛び散った。


――――あなたなら、お分かりでしょう?
後ろの青年を覗き、ゴドウィンは視線を元に戻しながら話を掛ける。
「イリアステルはシグナーの力を利用しようとしています。そのために、彼らはシグナーを自分達が見えるところに置かなければいけません」
「…協力するふりをして、おまえは何を望んでいる?」
ジャックが暮らす場所の近くの病院にセキュリティを回し、アザが発見されたらすぐにここへ連れてくる。
他人から見れば普通の話かもしれない。…が、ゴドウィンは最初から知っていたのなら話が違う。
これは、ただの茶番劇に過ぎない。
イリアステルの目を惑わすためにやってきたことだ。
「いつから、ジャックがシグナーであることに気づいた?」
「あなたが廃墟で力を使い、彼を助けた頃からですね」
「それは長いな。よくここまで、イリアステルの目から逃れる事ができたな」
「あなたも、それに気付いていたのではありませんか?」
システムにより水に濡れた長官室で両手を広げ、クスとゴドウィンは笑った。
「そのために、こんな派手なことをなさったのでしょう?」
「…まぁな」
モーメントの光により、十代はゴドウィンの裏にイリアステルがいることを知っている。
サーキットを実行しない理由ははっきりしないが、それまでの状況を考えると同じ人物が考え出しことだとは思えない。
ジャックは今まで、何度も赤き竜の力を使ったことがある。サテライトや人目がないところとはいえ、ネオドミノシティの技術ならば、巨大な力の発生を気付かないはず がない。
そこに疑問が浮かんだ。
『知っているのに、何故ジャックを捕まえに来ない?』
アザの件がセキュリティや病院、あるいは多くの人目に気付かれるまで行動しない、なんて、まるで『機会』を待っているようだ。
自分からではなく、…世界が気付くのを待っているかのように。
だからこそ十代は子供と共に捕まったと装い、治安維持局に侵入し、精霊の力でイリアステルの空間と治安維持局の繋ぎを一旦切ったのだ。
言葉や通信で知られないために。
「では話して貰えるか?わるいが、オレにはあまり時間がない」
――――…!…すぐに、ゴドウィン長官の安否を!
――――だめです!あの階は爆発のせいで、エレベーターはいけません!
――――くぅぅ…!ならば階段でいくしかない!早く行きなさい!
十代が作った爆発から、すでに時間は大分経っている。声は近くないけど、あと少しすれば他の人々が来る。
もう、猶予はない。
「…そうですね。では、このままの姿で構いませんね。十代様」
一旦話を切り、十代は彼を指す小刀から手を離さず、ゴドウィンは話をつづけた。
「『彼ら』の目的は、シグナーの力。五人のシグナーがこの時代に生まれたのならば、治安維持局に連れて行き、ありとあらゆる方法で無理矢理にでも、シグナー達の力 を引き出そうと考えています」
「引きだす?…赤き竜の力をか?」
「えぇ。シグナーのアザは生まれてすぐにわかるモノではありません。シグナーの身に危険が迫らない限り、赤き竜も力を出すことはありません。そのせいか…」
「…精霊に関する者を捕まえる、…か」
十代が相手の言葉の続きを補うと、ゴドウィンは口元を上げ、頷いた。
「あなたのお耳にも入っていると思います。――――『サイコデュエリスト』が」


サイコデュエリスト。
生まれた頃から力を待ち、カードの効果やモンスターを実体化することができるデュエリスト。
この現象の原因は精霊が見える子だと考えられている。
普段、精霊が見える子供は『精霊を見る力』と『精霊に触れさせる力』を同時に手に入れるが、時代の変化により精霊の存在は信じなくなり、『精霊を見る力』は消えて 『精霊に触れさせる力』のみが残る。
だが、『精霊に触れさせる力』を持つ子供達は精霊と話すことができない。この力はあらゆるカードを実体化してしまうため、子供は『精霊が見える子供達』より孤独に 追いやられ、やがて自分の悲しみや憎しみ、怒りを力に変え、彼らをこんな目に合わせた社会や世界に復讐しようとする。
それが、サイコデュエリストの正体であった。
「おまえは、サイコデュエリストはイリアステルが実験で生みだした者だと言いたいのか?」
「全てではありませんが…多くのサイコデュエリスト達はイリアステルの手により生まれたのです。力を持つ子供を集め、実験し施し、電流で刺激し、力を引き出しま す。」
「…違うヤツはどうなる?」
「捨てるのでしょう」
赤き竜の力が引き出された子供は残し、ネオドミノシティ治安維持局に連れていく。
赤き竜の力がなければ子供を研究所から連れだし、子供を捨てるか…もしくは裏で子供達を育て、利用する。
どんな時代でも、力を持つ者達にはよくあることだ。
「無理矢理にシグナー達を目覚めさせ、赤き竜を引き出し…イリアステルは何をするつもりだ」
「―――…シグナーの存在は消せません。ですが、シグナーを利用することにより赤き竜の力を手に入れることができます。私がイリアステルから命じられたことは… 『シグナー達を見つけだし、彼らの力をより強くさせるために、――――『正しき闇』の、遊城 十代に預ける』。」
「――――」
呆然。
まるで聞き間違ったよう、ゴドウィンの言葉に眉を寄せる。
今、相手はなんて言ったのだろう。
『正しき闇』の遊城 十代にシグナーの子供を預ける。…彼に、預ける?
「な、ぜ?」
「子供の肉体は赤き竜の力に耐えられません。もし、子供が感情に任せて暴走を始めた場合、あなたはより強い力を使い、子供を止めるでしょう。では、子供を止めるた めに使ってしまった力は、どこへ行くのか?」
「……子供の、体内に残る」
「えぇ。続きは、あなたが想像できる事です」
「!じゃあ…」
―――――もうすこしです!早く来なさい!
―――――ま、…まってくださいよぉ…イェーガー秘書……
―――――なぜ、……この秘書さんは、まだ、階段に跳ぶ体力が、残っているのですか…
―――――それより、どうして病院に意識を失ったりしたのですか!それにお腹のところに入っているのは…
―――――う…うるさい!これは渡しません!全世界でたった十個しか発売されていない幻の、少年と大人を実感する未知なる宇宙の味…ネオスヌードルですぞ!
―――――まったく意味がわかりませんよ!秘書!

『十代!』
近づいていく人の声。
そろそろこちらに着くと聞こえ、N・ブラックパンサーは十代に声を掛ける。
(ちっ。あのカップラーメンピエロが戻ってきたか)
病院で間一髪のところで他の人達を倒したが、一度倒されたイェーガーを再び倒すことは少し難しい。(動きも思ったより速い)
幸い、十代はあのカードIDを見た時から相手のことを調べたことがあり、彼の弱点をしっている。…のだが、
正直にいうと、十代はこの弱点を考えるだけで頭が痛くなる。
『おまえはイェーガーだな?ここで引き取りをしないか?』
『バカな。このネオドミノシティ治安維持局長官の秘書をたる者、貴方に惑わされるとでも…』
『全世界でたった十個しか発売されていない!少年と大人を実感する未知なる宇宙の味、幻のネオスヌードルならどうだ!』
『喜んでお引き取りさせていただきます!!』
見事に青年の罠に引っ掛かったイェーガーを倒し、十代は捕まったことを装って治安維持局に侵入を果たした。
海馬コーポレーションからカップヌードルサンプルを貰った時、まさかこんなところで使うことになるとは思わない十代であった。
そろそろ逃げる準備をしないと…チラリとブラックパンサーや入り口の方向を覗き、再び視線をゴドウィンに戻した時、
一枚のカードが琥珀の眸に映った。
「?」
「これを、あなたにお預けします」
相手の言葉に迷うが、ゆっくりと小刀を収めてカードを受け取る。裏に回し、表のイラストを見つめ、十代は目を細めた。
「誰に渡すか、あなたにお任せします。あなたが思う、強い心を持つ子にお渡しなさい」
「…――――レクス・ゴドウィン」
ガラスの壁に向かう男性を止め、青年は彼の背中を見つめる。
「おまえは、オレ『達』の敵か?」
「仲間でも、敵でもありません」
…大きな背中。
骨格と筋肉、長い時間と努力をかけて鍛えてきた肉体と精神。
その肉体は倒すことができない。
その精神は動かすことができない。
でも。
「私はただ、イリアステルの目的が私の願いを叶えられないと考え、行動しただけです」
「――――…そうか」
(…なぜだろう)
何故、彼はその背中が、寂しそうに感じるのだろう…?
預けられたカード…レッド・デーモンズ・ドラゴンを腰のケースに入れ、振り返らずに青年はN・ブラックパンサーと共に走り出す。
その日は、遊城 十代が最初で最後に、レクス・ゴドウィンと会う日であり…

『まっすぐに走れ、十代!』
「あぁ!」
濡れた道を走り、水の花は踊るように跳び、落とし、波紋は広がる。
足を進め、行き止まりのところに右に曲がり、
――――すれ違う。

これは、お互いも気付かなかったことであった。
「―――…くっ…!」
「あぶねぇあぶねぇ!」
剣に切られる前の瞬間、一枚のカードのイラストに者は剣を止め、その隙に青年は逃げ出す。
「現れろ!レインボードラゴン!」
小さな光が指先を通してカードに入り、ひかりがカードを包むと大きな光の影が飛び出して元の姿を表わす。再び小刀で空間に斬ろうとしていることに気付き、者は手に 持っている剣を握る。
「『貴方』をあの愚かな闇の元へは帰さん…!」
剣をまっすぐに青年の方へと投げる。青年は小刀の刃を空間に斬る同時にレインボードラゴンの名を呼び、
「――――オーバー・ザ・レインボー!」
虹色に包まれる白き光は剣へ向かい、衝撃や爆風が襲う。その隙に、青年は空間の外へ跳びこんだ。
「レインボードラゴン!」
間もなく消えていく空間の穴。
青年はすぐにレインボードラゴンを呼び戻す。ドラゴンは再び光となって隙を通し、空間が閉じる前にカードへ戻った。
「くそっ!逃げられたか!」
閉じられた空間の穴を撫でながら者は唇を噛む。アイツを闇の元へ戻らせてはいけないのに…!
七色のひかりは手のひらに集め、再び剣を現して空間を斬る、…はずだった。
――――…、…――――。
すべての動きが機械のように停止させられた。
ある声によって。
カンショウ、シテハイケマセン
「…―――――っ?!」
信じられないと者は振り返る。聞き間違いか?いいや、そんなはずがない。
あの声は、『彼ら』にとって…
《イマハマダ、トキデハアリマセン》
《シグナーハマダ、ソロッテ イナ…》
最後の発音と共に、再び消え去った響き。
者は唇を再び噛む。彼はあの声を逆らうことができない。だが、目の前にある掴める餌を逃すことはプライドが許されない。
……ころしてやる。
(五人のシグナーが生まれたら…『闇』と『光』を掴んでやる)
いつかころしてやる。ころしてやる。
「覚えてろぃ…シグナァアアっ!!」
貴様らの力を死ぬまで利用し、ころしてやる。
いつか貴様らやこの世界を、――――ころしてやる!

「ここはどこだっけ…」
カードをケースに戻しながら周りを見渡る。ここは先ほど、ヨハンが空間に入った場所ではない。壁や地面にも水が濡れている。先ほどの爆発を思い出すと、ここはあの 空間の近くにある階だろう。
「………左と、右」
目の前には左と右にいく道。
行き止まりはないけど、そろそろ彼を捕まえに来る人たちが近くに来るはずだ。
どこを選ぼうかと迷ったとき、数人以上の足音が左からの耳元に届く。
…きた。
「こっちか」
足を進め、青年は右に走り始める。
濡れた道を走り、水の花は踊るように跳び、落とし、波紋は広がる。
足を進め、行き止まりのところに右に曲がり、
――――すれ違う。

「―――――」
青は壁の方向に振り返る。
「―――――」
赤は壁の方向に振り返る。
一瞬の刹那に空間を通して、壁を通して、彼らは手を伸ばす。
(なんだ)
(なんだろ)
((アイツが、ここにいる気がした))
足音の響きに水の声。人々の叫びや者の怒り。沈黙の背中と走る二人の姿。
あのとき。
あのときだけ。
白き壁の向こうにふたりは手を伸ばし、
届かない触れ合いを続けていた。

その日は、ヨハン・アンデルセンが最初で最後に、イリアステルと会う日であり…
青と赤の再会を果たすはずの日でもあった。



…遅い。
おそいおそいおそいおそいおそいおそい…
「おそすぎるんだぁ―――!」
「いい加減にしないか!ジャック!」
マーサはいきなり大きな声で叫び出すジャックを殴る。予想以上の痛みにジャックは頭を撫でながらマーサを睨む。
マーサはいつも自分に容赦なしだ。
「しかたないだろ?!じゅうだいはまだもどっていないし、こいつが!」
部屋の暗いところを睨み、ジャックはそれを指で差す。
「おれをだれかにわたすつもりだったびょういんのいしゃがなぜ!ここにひきこもるんだ!」
そこにひとりの男性は黒線に包まれながらおちこん…引きこもっていた。
「だから、十代さんが戻ってくるまで待つしかないでしょう?」
「どうかんがえてもおそすぎるんだ!マーサ…」
「育て親に大きな声を出すんじゃない」
赤拳のダイレクトアタック。
突然の気配に反応できず、見事に同じところに二度も打たれたジャックはグルグルしながら倒れる。
その子供をスルーして、大人はマーサに微笑んだ。
「ただいま、マーサ」
「十代さん!だいじょ…」
「十代『様』!!!」
「うおっ?!」
ある発音にハッと我に返り、青年は一歩を下げると何かがさっきのところに跳んでくる。…あの医師だ。
「え、どうしたんだ?」
「すみません!私は『また』とんでもないことをしてしまいました!すみません!」
「…………あの、マーサ?」
思わず下に謝る医師を指しながらマーサを見る十代。今はどういう状況なのだろう。
「人を助けようとしていたのに、アザのことを他の人達に言ったら子供を危険に巻き込んでしまってごめんなさいって。アタシにはわからない話だけどな」
「…。…おまえ、さ」
医師と同じ高度に腰を下ろし、まっすぐに十代は男性の目を見た。
「もしかして、ゼロ・リバースの時も病院に居たのか?」
「!」
「あの時、病院まで来たジャックに、会った?」
『ゼロ・リバース』と『病院』の文字に目を見開く。倒れた時の背中は十代やマーサに向いているため、子供が目覚めた顔は見えない。
できるだけ気付かないよう、ジャックは寝る振りをしながら耳を傾けた。
「は、はい…」
十代の視線から逃げ、医師は目を逸らして口を開けた。
「ゼロ・リバースが起きた時、私は同じ病院にいました…突然の事故で、人々は次からつぎへ運んできて、……薬や人手が足りなくなった頃、ひとりの子供が来ました」

今でも覚えている。
ゼロ・リバースの悲劇で病院は酷い状況になっていた。ベッドや椅子、薬や医療品、人手も足りない。地面が崩れたため、シティとの繋ぎが切られ…サテライトの病院は 完全に捨てられた状態に近かった。
連続の手術で疲れ、病院の外から次の負傷者を中へ運ぶ時、ひとりの子供が彼の服を掴んだ。
金髪の、子供だった。
「たすけ…、…たすけて」
「?!大丈夫ですか?坊や」
子供を見てみたけど、見た目は大きな怪我がない。手当したいところだが、この子より酷い怪我をしている人達はたくさんいる。
ここは待たせるしかない。
「少しここで待ってください。お医者さんは後で戻りますから」
「ちがっ、ちがう!」
より強く医師の服を掴み、子供はある方向を指しながら泣いていた。
「とうさんと、かあさんを!たすけ…」
「っ今は忙しいんだ!」
無情に離された指先。
素早く振り払って病院の入り口から消えた医師に子供は大きな眸を見開く。一つ一つ落ちてくる涙を拭いもせず、子供は周りの大人に叫んだ。
…が、彼を省みる大人はいなかった。
あの日。
あの日から、医師はあの金髪の子供を見たことがなかったけど、何故か彼の最後の言葉が気になり、調べた結果…
――――彼の両親は、ある家の下で重傷を二日間も耐え、命を落とした。
その下は、数人の大人がいれば助けられる場所であった。

「………すべては、私の責任です。」
神への懺悔のように、闇に抱きしめられる沈黙。…いいや。
たぶんこの男は懺悔しているだろうと十代は思った。
彼の行動のせいで二つの命は気付かれずに亡くなり、その事実は彼の心を侵入する。
だから彼は自白が必要だと考えた。
自分が闇に喰われないように。
「……そうだな」
チラリと自分たちに背中を向くジャックを覗き、十代は問う。
「誰だって罪の意識がある。オレやジャック、マーサと医師…おまえの中にもある。ではお医者さん、おまえはどうしたい?」
「…え?」
「おまえは、どう償いたい?」
「……私は、医師です。私にできることは…」
一旦話を止め、医師はマーサを見上げて子供の背中を見て、決心したように拳を握り、
十代に顔を上げた。
「私にできることは、この屋敷で怪我した人たちを助けることです!」
「―――いい答えだ」
いいモノが手に入れたように、青年は満足げに口元を上げた。


「…まだ怒っているか?ジャック」
挨拶して別れ、屋敷を出て帰る医師。窓から遠くなった医師の姿を見て、十代はため息をつきながら後ろを見る。
不機嫌そうに頬を膨らませるジャックが琥珀の眸に映った。
「…べつに」
「怒ってるし」
「おこってない!」
「…恨んでも、おまえの両親は戻らない。そう言っただろ?」
「……フン!おれがけがしてもあいつがまたてあてしてくれなかったら、たましいがもえてもあいつをぶんなぐる!………ん?」
大袈裟だな…と苦笑する十代。そろそろマーサに相談しようとしたとき、何かの視線を感じて振り返る。
ジャックだ。
「どうした?ジャック」
「………」
答えもなく、しばらく十代を睨むと彼は自分の部屋に入り、あるモノを十代に渡す。
「つかえよ」
渡されたのはタオルだった。
「おう、サンキュー」
「っていうかどこへいったんだ?うみか?ふくがかんぜんにぬれてるぞ?」
「んーまぁ、こんなもんだ」
濡れた上着は気持ち悪いつづ、黒き服を脱げず中に掛けるモノを取り出す青年に子供は何かを気付いたように十代を見つめる。
首の下に、輪を繋ぐネックレスはつけていた。
(…………。…あれは確か…)
ふと少し以前のことを思い出す。
昔、彼の両親もつけていた。つける場所は違うけど、あれはアクセサリーではなく、指輪だ。
結婚した証の、結婚指輪だ。
「…………」
「…?ジャック?」
ふと周りを見渡る。
髪を拭く間にどこかに行ったのだろう、いつの間にか子供の姿がなくなっている。
突然のことに十代は首を傾げるが、考えないことにした。
彼にはまだ、別のことが残っている。
「なぁーマーサ」
「うん?なんだい、十代さん」
新しい服を渡しに来たマーサに十代は話しかけた。
「しばらく、ここに邪魔してもいいか?金はないけど、できるだけ家事は手伝うよ」
「ああ!かまわんよ、寧ろ十代さんみたいな大人がいて助かったよ」
「…………あの、マーサ」
嬉しそうに部屋を準備するマーサを止め、少し迷いながら十代は続けた。
「……オレは、マーサが思うような、…いいヤツじゃないぜ?」
「…………。」
「多分、マーサは気付いたと思うけど…オレは少し、周りの人間と違うんだ。長く残るつもりははいけど、迷惑をかける、かもしれな…」
「十代さん」
冷たい頬に触れるあたたかな両手。
凄く熱い訳でもなく、涼しいあたたかさでもない。…少し、違う。
手と指から伝わってくるあたたかさは触れているところを通して、奥に流れ込んでいく。肉体ではなく、心に届けようとするあたたかさ。
…まるで忘れていた、母の手の感覚だった。
「十代さんはさ、アタシが知っていたオーナーに似ているね」
「………、はい?」
いきなりの話に十代は反応できず、困り顔をする青年にマーサは微笑んだ。
「アタシがこの屋敷の責任者になる前はね?一度だけ、ここのオーナーに会ったことがあるんだけど…その方の雰囲気が、すごく十代さんに似ていたわ」
「似ている?」
「ほら、この顔」

―――笑っているけど、悲しそうで泣きそうな 辛い顔

「さっき、十代さんが戻ってきたときから思ったけど…何かあったのかい?」
「…な、ぜ?」
「顔に書いてあるよ?十代さん」
数回に青年の頬を軽く叩き、マーサは手を離す。
「嬉しいことがあったけど、嬉しいと思っちゃいけない。…嬉しいと思う同時に、悲しく感じるって顔だわ」
少し苦笑するマーサに、青年はまるで見てはいけないモノを見てしまったように、
(…なぜ、だろ)
十代は、はじめてマーサから目を逸らした。
(なんで、こんなときに…マーサの表情はヨハンと重なってしまうのだろう)
二人は似ていない。…いいや、すべてはかわってしまった。
彼はもうあの人の側にいない。
彼とヨハンはもう一緒にいない。
彼らはすでに終わった。彼が終わらせてしまったのに。
時間と共に変わったのに。
ふとネックレスを撫で、指輪の円を触れる。
この指輪を外し、短くて長い時間を過ごしたと十代は思うが、今更だけど彼は気付いた。
この指輪。
……この指輪だけが、初めて指に嵌めた頃と同じ、
キレイな銀色の輝きを照らしていた。


――――嬉しいけど、その嬉しさに悲しく感じる顔
大きなツバサで動く風の音で眠りから目覚め、アメジストとタイガーは顔を上げる。
精霊をカードに戻してケースに入れ、鍵で玄関の扉を開くと青年は「う…」と理由もなく宝玉獣たちに睨まれた。
彼らの視線に、ヨハンは思わず逃げたくなった。
「ど、どうしたんだ?みんな」
『…………』
疑問に答えず、何も言わない宝玉獣達はじっと青年を睨むと…同じタイミングで、ため息をつく。
この反応にヨハンは青筋を立てた。
「オイ!な…なんだよ、この反応は!」
『ヨハン。貴方ってバカだよね』
「うぅ…」
『あれほど使うなといったのに…バカヨハン』
「ちょっ…」
『…バカだ』
「ペガサスまで…っ」
『バカじゃ』
『バカな子だ』
『バカだな』
『ルービー(バーカー)』
一度目があれば二度目がある。二度目があれば三度目がある。…それはアジアでよく聞かれる話だけど、…普通に同じ言葉が七回に言われるはずがない!
まさかの七回連続のダイレクトアタックに青年は見事にイリアステルの攻撃より大きいな衝撃を受け、玄関に闇を抱きながら落ち込んだ。
『……まぁ、無事に戻ってきたから、貴方に言うわ。ヨハン』
『『おかえり、ヨハン』』
「――――…みんな、」
『でも、私達に心配させたから、そこでしばらく落ち込みなさい。バカヨハン』
…あぁ、母にお仕置きされた気分のようだ…と玄関に両足を抱き、落ち込みながらヨハンは思う。
彼に母はないけど、きっと母というのはこういう存在だろう。
優しさと厳しさ。穏やかさと激しさ。家族を支える大きな存在。
今更だけど、アメジストは姉より母が似合うと彼は思った。口にしたら怒られるけど。
リビングに戻る宝玉獣を見て、恐れながら小さな姿が玄関に近づく。何かがヨハンの服を掴んでいると感じ、彼は振り返る。
そして、愕いた。
「…遊星?」
ルビーや家族の宝玉獣ではなく、彼に近づいた者は不動 遊星…
彼の新しい養子だ。
「そういえば、まだ痛むか?」
ふと腕のアザに手を伸ばすところだったが、触れる一瞬手前でヨハンは止まる。
じっと自分を見つめる子供に彼は苦笑した。
「触れるのが嫌だったな。わりぃ」
「……………」
「とりあえず、痛いときや怖いはちゃんと言えよ?言葉にできなくてもいいから、手とかでおしえ…」
「こわく、ない」
ゆっくりと伸ばす小さな両手。
自分のと違い、冷たい頬を触れる手と指先はあたたかく感じる。子供は体温が高いと聞いているけど、これは少し違う。
…何かを見通し、その先のなにかを助けたいというあたたかさ。
遊星は、ゆっくりと口を開けた。
「こわく、ない」
「ヨハンのめは、ないているから」
「わらっているけど、かなしそうに、ないている」

―――――……。
あぁ。何故だろ?
何故彼の周りの者達はこんなに鋭いのに、あの人はあんなにも鈍い。
彼の悲しみと喜び、辛さと苦しさを分かり合ってくれる人にはそれがわからない。
彼が一番欲しがる者は、彼の気持ちがわからず、彼の元から離れた。
何故わからない。
「………さぁ、遊星。俺の家族を紹介するから、先に行って待ってくれないか?」
「……うん。…ヨハン」
「うん?」
「どうして、かなしいのに、なかない?」
「……そうだな…」
遊星の頭を撫で、青年はゆっくりと立ち上がり、玄関の照明により大人の表情が見えなくなるけど、何故か子供は分かった気がする。
涙がなく、笑いながら泣く方法を。
「きっとそれは、泣きたくても泣けないからだろう」
もう、泣ける場所がないからだ。


青と赤の再会。
蒼と金の出会い。
御守りにより守られる子の、血縁を繋ぐ新たな命・シグナーの誕生まで
あと、僅か。


自分を許すつもりはない
自分が生きていてはいけないことぐらいわかっている

それでもぼくは、ぼくを守ってくれたあの人達の命を背負って明日に向かう

不動 遊星
(Yusei Fudo)

「青と蒼、赤と金2」時点で年齢五才。新たな童実野町・ネオ童実野シティのトップス出身。現世では三人目のシグナー。
一才の頃にゼロ・リバースが起きる。脱出ポッドにより旧モーメントからは逃れることができたものの、ポッドが発見されるまで一年の時間を要し、その間は赤き竜の力 により眠りつづけていた。現在はゴドウィンの手により、ヨハンの養子となり、共に暮らしている。
両親の最期を目撃し、その大きなショックにより五才まで喋れなくなっていた。自分の父の研究で多くの命が奪われながら息子である自分は生き残ったため、自分に対す る罪の意識は強い。
ヨハンと宝玉獣に育てられ、血縁がなくても「絆」があるということが教えられ、その生き方を心に刻み込んだ。
ヨハンと暮らし始めた頃は好き嫌いがあった。だが、世界でたった一個のレインボー・ドラゴン・ヌードルを食べた後、カップラーメンを高級で贅沢なモノだと思いはじ め、それ以来は食べ物を大切にするようになる。お残しは許されない模様。
デュエルとダンスはヨハンに少しだけ教えられたことがあるけど、ダンスは相手に微笑を見せなければならないと告げられたため、苦手である。

着けてもらったマフラーの主は、将来に出会う過去の存在であり、現世の彼ら残したモノの一つであると知ることになるのは、未来の話。

シグナーのアザ・しっぽ
シグナーの精霊  スターダスト・ドラゴン



その先にある未来のために―――