青と赤 0




あれは、いつごろのことだったのだろう。
世界にまだ精霊がいて、人々と暮らしていた頃でもなく、…昨日とか、昨年の近ごろでもない。
ちょっとだけ…少し昔にあったことだ。

外す指輪と外される指輪。
静かに降る雪の日。
宝石獣と共に戦うヨーロッパチャンピオンのデュエリスト。
Eヒーロー&ネオ・スペーシアンと共に旅に出る未来のデュエルキング。
ふたりがまだ『人間』として世界に生き、『人間』の幸せを手に入れていた頃の話である。


「―――……。」
何かを気付いたように振り返る空の青瞳。
久しぶりの休日を使い、自然に包まれる屋敷から出かけ、近くにある都市に向かう。
小さな店すら家の近くにはないため、青眸の青年・ヨハンは食料や生活用品を揃えたい時は休日に都市に出るしかない。
人が多いところは好きではないが、今日は違う。
彼のとなりには、『彼』がいるからだ。
「ヨハーン。買い終わったか?」
店から出て、赤に近い紅茶髪の青年は食材を入れた袋を抱きながらヨハンに声を掛ける。
いつも世界中に旅に出ている赤の青年・十代だが、ヨハンの休日が今日だと知り、一緒に過ごそうと、昨夜ヨハンの元へ戻ってきたのだ。
突然の帰りに青は思わず何故彼のスケジュールを知っているにツッコみたくなったが、
相手の性格を知り尽くしているため、ヨハンは微笑んで彼に最初の言葉を伝えた。
おかえり、と。
翌日、二人は久しぶりに一緒に居られる時間を使い、買い物へ行くことにした。
「…?ヨハン?」
腕にある袋をバイクの後ろのボックスに入れ、十代はヨハンの視線の先を見て、同じ景色を瞳に映す。
何かに気付いたように、彼は目を瞬いた。
「……珍しいな」
「…あぁ。ここで俺達以外の、精霊の気配があるのは初めてだ」
この街に住んでいないとはいえ、彼は近いところに何年間も暮らしてきたのだ。周りに精霊の気配があるかどうか、そのくらいは分かる。
お互いに頷き、ふたりは荷物を置いて気配の方に足を進める。
大きな道を通り、小さな街角に入ってまた巷間とすれ違い、少しずつ町の奥に入り込んでいくと、ある壁の前に小さな姿が倒れていた。
それは小さな女の子だった。
「!」
「おい、大丈夫か!」
すぐに二人は女の子の側まで走る。できるだけ優しく女の子を抱き上げると、十代は彼女を見る。
腕や足に小さな傷がある様だが、とりあえず命を奪う危険性があるような傷はない事に二人は安堵した。
「どうだ?ヨハン」
「ちょっと待てくれ」
腕を上げ、手のひらを女の子へ向けながら目を閉じると、わかった様にヨハンは再び眸を開いた。
「気を失っている…」
「いや、これは見ればわかるし」
「そういうことじゃなくて」
ツッコむ十代にヨハンは苦く笑い、改めて女の子を見る。
「この子は疲れて倒れただけだ。さっきの精霊の気配に関係ないし、…身体にある傷のせいでもない。肉体的なものは、な」
「精神の問題ってことか」
先程から、二人はこの子の傷が気になっていた。子供同士の遊びで付くような傷ではない。もっと違う…悪意が感じられるモノで付けられたようだ。
「とりあえず、このままこの子を置いていく訳にはいかない。…どうする?」
「置いていく。…なんて言わないし、するつもりもないさ」
チラリと女の子のとなりを覗き、ヨハンは微笑む。
「先に、家まで連れって帰って手当てをしよう。」
「あぁ。…『君達』も、一緒に」
小さくて柔らかいひかりのゆき。
手を伸ばすとまるでこどものように赤の青年に近づき、手を回りながら頬に寄る。静かに『モノ達』を撫で、ひかりのゆきは女の子の懐中に入って消え去った。
二人が立ち上がり、駐車スペースのバイクを取りにいく途中だった。
「あれ?あのこって…」
エンジンをつける前に声が届き、二人は振り返ると知らない女性が目の前に居た。
ここの近くに住んでいる人だろう。
「やっぱり!あの施設の子じゃない?」
より近く十代の腕にいる女の子を見つめるとわかったように声を上げる女性。ある言葉に二人は顔を見合わせ、女性は話を続けた。
「もしかして、二人はその子の新しい保護者なの?」
「この子を知っているのですか?」
「もちろんだよ!ここのみんなも知っているよ。だってその子、異端児だもの」
「…異端児?」
二人の反応にまさかと思い、女性は呆れた顔をした。
「知らないでこの子を引き取ったの?かわいそうに……何も起きなければいいわね」
一瞬だけ。
少しの間だけだけど、確かに指先から小さな鼓動は伝わってきた。女の子を抱きしめる、その腕から。
(…ヨハン)
(間違いなさそうだ。…原因はこれだな)
「マダム」
優しく相手の腕を取り、緩やかに手の甲に口唇を寄せて女性を見上げる。
「詳しく聞かせて貰えますか?」
宝石のように彩かな、虹のように美しい笑顔に女性の頬は恥ずかしさと共に紅に染まった。
後ろに青の青年にこの手段を教えたある人物を思い出し、思わず目を逸らす赤がいるのはまた、別の話。


少し都市から離れるとある街の隅に、数本の木々に包まれた屋敷があった。壁の外に書かれている文字を読むとここはさっきの女性が話してくれた施設だと知り、ふたりは顔を見合わせ、扉を叩いた。
……が、返事はなかった。
奥から人の気配が感じるため、ヨハンは叩きながら試しに柄を回す。扉は鍵がかけられていないようで、容易に開くと、
「―――――    !」
思いも寄らない怒声がふたりと、腕にいる女の子の耳を刺さった。
「「…―――?!」」
目の前の景色にヨハンと十代は衝撃を受けたような気分だ。
扉の先にたくさんの子供達がいて、仲良さそうにいっしょにおもちゃを遊び、ごはんを食べていた。でもその中に二人の子供だけが部屋の隅にいて、責任者と思われる大人に打たれている。
これを見た瞬間、ヨハンはすぐにそちらに向かった。
「止めろ!」
「!」
再び下げようとする腕を後ろから掴まれ、女性達は振り返る。青髪と青眸を持つ青年といつの間に居る赤の者たちに、女性達は眉を寄せた。
「誰ですか?!貴方達!」
「邪魔をしないでちょうだい!」
「子供になんてことをするんだ!」
打たれていた子供たちの前に、ヨハンは立ち塞がる。相手の行動を理解し、十代は腰をおろしながら子供達を見る。
(っ……ひでぇ)
顔や足、腕につけられたキズ。女性達に殴られてできたモノだろう、青年はすぐにわかった。その傷は、彼が抱きしめている女の子と同じようなモノだったからだ。
悪意が感じられる、その先が。
「大丈夫か?!すぐに手当てを…」
「ひっ」
…何故か、少しだけ。
彼は悲しいと思った。
自身に伸ばされる手に恐怖し、恐れながら自分を見つめる子供達。それもそうだろう、この子達にとって彼やヨハンは初めて会う人だ。それに多分、彼らは『人間』を信用できないだろう。
この年で家族もなく、同じ年の子供達に無視され、『大人』達に打たれ…彼らは、どんな『大人』になるのだろう。
昔の彼のような、人になるのだろうか。
「――――……、……。」
「っ……な、に?」
手を伸ばしたのに自分達に触れず、ただ目の前にいながら動きを止まる。まるで彼らの返事を待っている様だ。
…ふたりの子供はゆっくりと、顔を上げた。
「な、んだよ…」
「オレが、こわいだろ?」
苦く笑いながら十代は微笑む。
「だから、触らない方がいいと思って」
「「…、………」」
後ろの十代の行動に「お前らしいな」と意味するように口を緩め、目を閉じて視線を前に戻す。
小さな怒りと共にヨハンは女性達を睨んだ。
「何故子供に暴行をする?これは孤児院がすることなのか」
「ちょっと!」
相手の言葉にイラっと付いたか、女性たちも青年を睨み始める。
「先にここの決まりを破ったのはこの子供達です!それにあなたは誰なの?!部外者は口を出さないで頂戴!」
「破ったからと言って暴力を振るかぁ?それに、俺達はもう部外者じゃない」
鼻で笑うとヨハンは十代を呼び、意味を理解した赤の青年は立ち上がって振り返る。
ヨハンは十代の腕にいる女の子を示すと、女性達はようやく事態を気づいた。
「!こいつは…」
「『こいつ』とはひでぇな、まるでこの子を『人』と思っていない口調だ」
「この子は町で倒れて、オレ達が見つかったんだ。命に別状はないけど、全身も傷があって、新しいのも古いのもある。そうだな…まるで、」

――――――毎日も殴られてできたみたいだぜ?

汗は落ちてゆく。
部屋は温かいはずなのに、氷のような悪寒が女性達を襲う。痛いほど冷たく睨んでくる、金にも見える琥珀の瞳…視線だけで吹雪の中に放り出されたようだ。
二人は身を竦めた。
「こ、この子たちがおかしいわよ!」
「そ…そうよ!この子たちがいつも同じ言葉を繰り返すから、仕方なかったの!そうしないと、彼らは周りの子供達に迷惑をかけるからよ!」
「同じ言葉?」
「セイレイとか見えるって、何もないところで喋りはじめたのよ!」
((――――やっぱりか))
女の子を見つけたときに気づいてはいたが、二人にとってあたって欲しくない予想であった。
十代もヨハンも知っている。精霊が見える力は決して危険なものではないし(人にもよる)、むしろその力は親がない子供や両親に愛されない子供のために捧げられた贈り物だ。
子供がさびしくないように。
辛いときや悲しいときも話し合う相手がいるように。
そのため、精霊が見える力は大人になると自然に消えてしまう。
『子供の心』を守るための、力だからだ。

でも、世界はそう思ってくれない。
すべての子供が見える訳じゃない。そのせいで見えない子供は見える子供を受け入れず、異端者として彼らを無視し、傷つけ、自分の世界から排除しようとする。
大人もそうだ。
彼らは見える子供を…――――自分と違う『人間』を、『人』として思わないのだ。
(同じ『人間』なのに…)
同じ『人間』なのに。
起きて、ご飯を食べて、遊んで、疲れて、休んで、寝て、繰り返す。彼らの『命』も同じはずなのに、何故この子供たちを受け入れられない。
何故、差別されなければいけないのだ。
「それで?」
あっさりと応える赤の青年に女性達は我に返れず、十代は続く。
「それが、おまえ達が子供に暴力を振る理由か?」
「なにっ」
「自分と違う、から?」
「…――――勝手なことを言わないで!」
女性達は切れた。
「部外者のあなた達に何が分かるの!誰だって自分と違うモノを拒むのよ!」
「そうよ!私達だってがんばっていたわ!多くの国から集まった子供達を育てるのは大変だけど私達もみんなを受け入れたのよ!でもこの子供達は違うわ!何もないところにしゃべったり触ったりして、そんなの普通じゃないわ!!」
「それに勝手なことばかり言っといて、貴方たちはどう?!この子とあの子供達を、人間だと思っていないでしょう!無責任な発言はやめてちょうだ、」
「いいだろう」
小さな返事に静かになった空間。
先ほど狂ったように叫んでいた女性達は呆ける。何が起きたか分からず、言葉を遮られたまま固まる女性達を、青と赤は静かに睨みつけた。
「この三人の子供達は俺達が育てる。元々そのつもりでここに来たのだ」
「正式な書類は後日、知り合いが送ってくる。今日はここで失礼する……と、その前に」
何かを思い出したように十代は腕の女の子をヨハンに預け、二人の子供の前に腰を下ろす。
彼は再び、二人に手を伸ばした。
「もし嫌なら、オレは止めない。でも、約束する。オレとヨハンは君達に…さびしい思いをさせない。アレックス、ピーター」
十代の呼びに二人は目を見開く。
教えていないのに、自分達名前を呼びだす赤の青年。
子供は初めて、恐怖以外の表情を現わす瞬間だった。
「ど、して…ぼくたちの、なまえ…」
「おしえて、いないよ…?」
「ん?…あぁ。実はな?」
ゆっくりとアレックスとピーターの隣を指し、十代は微笑む。
「この『子たち』が、教えてくれたんだ」
小さなひかりのゆきは子供達に寄り添い、笑っているかのように光をふりまく。
優しい、あたたかな光りを。
「…………っ、……――――」
伸ばして、下げて、繰り返す小さな手。
腕を上げると怖がるように引き、何度も続くと覚悟を固めたように二人…三人の子供は手を上げ、伸ばし、
青年達の手と重なり合った。


―――――……。
「………あぁ。よろしく頼むぜー」
『     !!!!』
怒り声を予想した赤の青年は電話を耳から離すと大きな叫びが聞こえ、本当に変わっていないなと十代は思わず『プッ』と笑った。
「まぁそう言うなって、万丈目。あの時のことなら、オレだって仕方ないと思うぜ?まさかオレにあの子供達を見捨てろ、って言うのか?」
『そうは言っていない。だが貴様ももう少し自分の立場を考えろ!』
叫びが落ち着いたのを見計らい、再び電話を耳元に戻すと、十代はソファに座りながら話を続けた。
『アイツもそうだが貴様もだ!ひとりは大会でよく海外出張にいくヤツ、もうひとりは旅人!自分ではまともに生活ができないヤツが何を「子供にさびしい思いをさせない」など言っているんだ、貴様らは!子供を育てるのは大変なんだぞ!』
「だから事情は事情だってー。わりぃけど、書類は頼む」
『ったく…仕方ないから、この万丈目サンダーは手伝ってやる。ありがたく思え!』
「あぁ、サンキュー。万丈目グループは順調か?」
『当たり前だ!プロデュエリストの俺様がいるのだぞ!』
「プロをやっているのに会社まで手を伸ばすってアンタがすげぇーぜ、サンダー。………なぁ」
チラリととなりに置かれている写真立てを見て、十代は目を細める。
「奥さんは元気か?」

あれは、いつ頃前の破片だろう。
赤の少年の手を組みながらケンカする水色の少年と黒め肌の少年。嬉しそうに赤の少年の腰を回しながらカメラ目線に向く少女とそれを止めようとする金髪の少女。黒き少年が金髪の少女に近づけようとするが彼を止めた青制服の青年。これを見て笑う青髪の少年。そして画面に入ろうとする教師と、近くにいる銀髪の少年、緑髪の少年と青制服の青年に腕を組まれて画面に入った青髪の青年。
最後に写真の一部に映ったネコの手と口。
…凄く懐かしい。
随分時間が経ったのに、まるで昨日が起きたように感じで、目が覚めると再びみんなに会える気がする。
それでも、時間は戻らない。
戻らない方が、幸せだろう。
『――――……あぁ』
返事が聞こえた同時に写真立てに手を伸ばし、裏に置かれる一枚の写真を取り出す。
表に回り、十代は写真を見つめ、
『子供は大変だが、元気だ』
「……そうか」
嬉しそうに、切なさそうに口元を上げる。
彼は小さく微笑んだ。
「それはよかった」

ひとりの少年とひとりの少女。
子供のように手にあるパンを競り合い、不注意で地面に倒れて水濡れになった二人。思わず相手の酷い顔に笑い出す瞬間の写真。
思えば、これは最初で最後の、二人で笑いあう写真だった。
「終わったか?」
電話を切るとヨハンは十代に声を掛ける。部屋のドアを閉じると彼は十代に近付き、十代は携帯をポケットに戻した。
「あぁ。万丈目すっげぇ怒った」
「予想通りだな。…十代」
「?…―――」
後ろから触られ、両手が頬に置かれると顔を上げる同時に重なる影。
小さな音が耳に届き、ヨハンは十代の唇から離れた。
「…子供達は?」
「寝ている。やっと気が緩んでくれたんだ」
「そうか」
ソファの前まで行き、ヨハンは十代の側に座る。当たり前で日常のことのように、十代は自然に彼の肩に寄り添い、ヨハンも彼の肩を回しながら抱きしめた。
「後悔したか?」
「…普通、怒るじゃないのか?この場合」
「『今も』なら、怒るかもな」
「……『今は』、違うさ」
ゆっくりと指と重なり合い、十代は目を閉じる。
「今も、これからも、…オレはヨハンを選んだことに後悔しない」
「俺が好きだから?」
「じゃあ、ヨハンは?」
「後悔なんて、あるはずがない」
応えるように強く、やさしく握り込み、ヨハンも穏やかに眸を閉じた。

……している
おまえを 愛しているから

例えその器がなくなっても。
二人が離れることになっても。
魂がいる限り、オレ/俺はずっと

おまえを想い続ける。


アレックス、ピーター、そして最初に出会った女の子・シャリー。
三人の子供との出会いはヨハンと十代が養親になるきっかけであり、未来の子供達との出会いの繋ぎであった。
そのことを気付くには、まだ先のことである。

別れが、訪ねるまで。